仏教やヒンズー教の方を主として、多くの方の思いには『閻魔大王の審判』というのがございます。
閻魔大王とは、死後に行くとされる冥界(あの世)の神様です。
死者が冥界に来ると、閻魔大王から裁きを受けるのです。
その裁きの結果、地獄に落ちるか 天国で幸せで居るか、或いは 転生先が辛い動物なのか 人間を含むハッピーな生き物なのかとなるわけです。
良くない人生を過ごした人は、閻魔大王にこう告げられるでしょう。
「お前の業(ゴウ)を見れば一目瞭然に分かる。地獄に落ちなさい」
こうなっては大変だと、人間は 良い人で過ごそうと思うわけです。
ところで、この『良い人』とは具体的に何でしょうか。
何が良くて何が悪いかを間違うと、天国に行けると思い込んでいたのに、審判の結果が地獄だったなどという事になるわけです。
良い人生、そして悪い人生とは、具体的に何でしょうか。
「人殺しをするのは悪い人」というご意見もあるでしょう。
しかし、殺人が罪になるのは 現代日本の法に於いてです。
法というのは、人間が社会を安定させる為に作ったルールであって、閻魔大王の裁きの基準では無いかもしれません。
事実、戦国時代には敵を切り捨てた者は、悪い人ではなく英雄です。
また、他の宗教では牛を食べるとアウトとなります。
さらに、宗教が違う人には裁きをと言って大量虐殺した宗教(国)もあります。
こう考えると、殺生するしないが閻魔大王の審判基準とはいえないかもしれません。
「人に迷惑を掛けないこと」というご意見もあるでしょう。
特に昨今の日本教育では「他人様に迷惑を掛けてはなりません」というのが流行です。
幼い頃からそう指導された人は、大人になっても人に迷惑を掛けないようにしようとします。
迷惑を掛けまいとすること自体は良いのですが、その気持ちが高じてしまうと厄介です。
それは「迷惑を掛けてなければ、あとはどうでも良いのでしょう」という考え方です。
確かに迷惑を掛けなければ、警察のご厄介にはなりませんし、社会でも何となくは暮らせます。
しかし、「迷惑を掛けなければ、あとはどうでも良い」という考えは如何なものでしょうか。
人間はとても弱く、助け合っていなければ生きていけません。どれだけ強い者でもひとりでは生きられないのです。
そんな弱い人間にとっての “良い人” が、『迷惑を掛けない』では弱いのです。足りないのです。
あなたが幼児の頃、親が「私は迷惑掛けないから その代わりに人を助けたりもしません」という考えだったらどうでしょうか。
警察官も 先生も 医者も 役人も、全ての人が「迷惑を掛けてなければ、あとはどうでも良いのでしょう」という考えの世界を想像してください。そこであなたは生きられますか。
また、自分自身もそういう人であって良いと思うでしょうか。
どうやら、閻魔大王も同じ気持ちのようで、殺生するかしないかとか、迷惑を掛けるか否かなどを あの世の審判基準にするのではなさそうです。
では、閻魔さまの審判基準は何でしょうか。
人に優しくすることでしょうか、
他人の為になることでしょうか、
思いやりでしょうか、 それとも …
ご判断は、あなた様に任せたいと存じます。
大切なあなたが 幸せでありますように。
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