いじめられて悩んでいる方やその親御さんは、状況を改善しようとします。
『どうすれば、いじめられないだろうか』と考えるわけです。
言い換えれば、『いじめられない為には どうしたら良いだろうか』と考えるのです。
まず始めに思いがちなのは「いじめっ子が居なくなれば良いのに」という考えです。
理屈はとおる話しですが、現実的には無理な話しです。
なぜなら、どこに行ってもいじめっ子は居るからです。
もしかしたらですが、転校すれば、そこにはいじめっ子が居ないかもしれません。
しかし、数年後の就職先では、別のいじめを受けるかもしれません。
こんな言い方をすると、将来が絶望的に聞こえる方も居るかもしれませんが、多くの職場でもいじめは存在しています。
いじめっ子が居なければという考えだと、改善は無理なのです。
次に思いがちなのが、「いじめる側が反省し 考え方を改善してもらいたい」という考えです。
これは、いじめられている子供の親も発想しがちです。
いじめっ子の方が間違っているのだから、その子が反省し改善をすべきだという主張です。
担任の先生にもそういう要望を言ったりしがちです。
しかし、これも理屈は正しくとも現実的には難しい話しです。
弱い者をいじめて快楽を得るような人は、人間性が劣っているのです。
とても駄目な人を 聖人の如く改善させるのが困難なのは、想像が付くと思います。
たとえ、担任の先生が強く説教し、いじめる言動を制御出来たとしても、無視されてしまう事でしょう。
いじめっ子は人間性が劣っていると書きましたが、人間性の劣っている人は愛する事など出来ません。
愛するという意味自体が分からない人も居ます。
そういう人がいじめの言動を止めても、急に仲良しなんか無理です。
いじめっ子が居なくなればとか、いじめる側に改善を求めても、解決は困難なようです。
では、どうすれば良いのだと考える時、発想の転換が必要と思うのです。
いじめる側という他人に変化を求めるのではなく、自分が変わるのです。
自分自身を他人の目線で観察する事を客観視すると言います。
客観視すると、今まで気付かなかった事が見えてきます。
いじめっ子でもいじめられっ子でもない他の同級生から見て、自分の様子はどうなのだろうかとイメージするわけです。
客観視に慣れていない方は、すぐにイメージするのが難しいかもしれません。
しかし、客観的に考える力を育んでいると、生涯にお得です。
大人の中にも客観視が出来なくて、あるいは客観視する事に背を向けて、良くない人生を歩んでいる人もいます。
そういう人は、どこに行っても 誰と結ばれても、政治がどう変わっても、良い日々を迎えられません。
だから、客観視のトレーニングを繰り返しして出来るようにする事は、目の前の苦難を改善すると共に 幸福な未来創りにも役立ちます。
そうやって、客観視という自分を他人の視線で観察したとき、自分に欠けていたものが見えてきます。
自分に足りなかったものが見えてきます。
クラスでいじめられていない人がしていて、自分がしていない考え方や行動を発見できれば、それが自分を変える内容です。
いじめられないために、いじめっ子と仲良くする防御方法を選択してしまう方も居ますが、自分がいじめっ子になるよりも いじめられていない人に成った方が良いですね。
いじめられていない人の考え方や行動を観察してください。
「綺麗だからいじめられないんだ」とか「空手を習っているからいじめられないんだ」ではないのです。
観察するのは、いじめっ子に対する考え方や行動です。 それをよく見てください。
そうしたとき、もしかしたら、こういう事が発見出来るかもしれません。
『いじめられない人は、私よりも他人を愛しているなぁ、私よりも思いやりがあるなぁ』
こういう事が、人によっては見えるかもしれません。
大切なあなたが 幸せでありますように。
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参照:レジェンド石井裕之の「ダイナマイト モチベーション6ヶ月プログラム」
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