躾や 自己啓発は 何のため?
- 2016/06/13
- 19:50
先日、報道されましたが、自動車に石を投げてしまう少年を、父親が林道に置き去りにしました。
躾(シツケ)の為だそうです。
結果は、7日後に怪我も無く発見され 何よりでした。
少年がまだ見つからない頃、警察に対する父親の話にも当初から嘘が多く、事件性が無いのかと私は疑っておりましたが、取り越し苦労だったようです。 その後も警察と検察は、父親を起訴しませんでした。
つまり、躾と称して山や林に置き去りにしても、現行法では児童遺棄罪(イキザイ)にならないのだそうです。
遺棄罪とは、置き去りにされる子ども側の安全を故意に冒すもの。 この事故では、数分後に父親が迎えに行っているので 安全を脅かしているとは言えないとのことです。
人を置き去りにしたまま帰ってしまったら犯罪ですが、数分後に迎えに行けば常識的に体には悪影響が無いだろうという事で 犯罪にはならないのだそうです。
他の例では、赤ん坊を誰も居ないような山野に置いて帰ると遺棄罪。 赤ちゃんポストの有る病院になら、置いて帰っても無罪。
道義的にそれで良いのか悪いのかは別として、現在の法律は そうなっています。
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この一件で、多くの方が “置き去りは 躾なのだろうか” と考えました。
置き去りにするくらいなら、体罰の方がよっぽど良いという意見も聞きましたし、
逆に、躾のために置き去りにした事が私にもあるという話しも聞きました。
あるいは、置き去りにしても傷付くだけで教育にはならないだろうと言う方も居るし、
だったら体罰も躾ではない。 叩かれて痛いのが嫌でそれをしないのは 躾ではないと言うの人も居ます。
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置き去りや体罰は、躾なのでしょうか。
躾とはどうあるべきなのでしょうか。
それを考える前に、躾とは何かという事と、何のためにするのかを考え直してみたいものです。
なぜなら 目的があやふやだと 効果が上がりにくいだけでなく、人は間違った思考をする事があるからです。
〜躾とは何か〜
躾とは、社会の規律や礼儀作法などに合った立ち振る舞いができるように、訓練する事です。
法や作法は、民族や国家、時代によって違いがありますので、躾の具体的な内容も異なります。
現代の日本では、男の子が立ち小便をしないように躾をしますが、遊牧民の方々はそういう躾はしないでしょう。 公衆トイレも無いし、誰も不愉快にならないからです。
その社会によって躾の内容は変わっても、変わらないのは “立ち振る舞い” だという事です。
ですから「俺独自の躾」というのは、間違う場合があるのです。
躾という文字をよく見ると、身と美が合わさった文字です。
尊師は「躾によって、美しさを身に付けることができると解釈すると合点がいきます」と仰います。
躾とは、立ち振る舞いを身に付けるものであり、その結果は 美しい人間性なのです。
〜何のために躾をするのか〜
何のために 親や周りの大人は、子どもに躾をするのでしょうか。
つまり、躾をする目的は何でしょうか。
ここを間違えている大人が、意外と多いのではないでしょうか。
私が思う躾の目的は、世間(社会)に迷惑を掛けないようにする言動を身に付ける事です。
つまり、他人様(ヒトサマ)のためになる事、あるいは迷惑にならない事を出来るようにすることです。
この目的について、あなたはどう思うでしょうか。
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もし、私の考えに賛同なさるなら、この例文のどこが間違っているか 考えていただきたいのです。
〜 同じイタズラを何度注意しても止めない為、感情的になった母親がこう言いました。「何で分からないの !? あなたの為に言っているのよ!」〜
このお母さんは、躾で手を焼いていたのでしょう。 しかし、目的が間違っていないでしょうか。
つまり、「あなたの為に」というところが間違っているわけです。
「私があなたに 勉強をしなさいと言うのは、(将来の)あなたの為を思ってですよ」これなら納得がいきます。 一般的に勉強ができた方が、将来幸せに成れます。 そして、勉強をさせるのは躾というより教育でしょうか。
しかし、イタズラするのを止めさせる時に、「あなたの為に」はおかしくないでしょうか。
なぜ、イタズラをしてはいけないのでしょうか。 それは 他人様に迷惑だからです。 自分の為ではありません。
他人に迷惑でない行為は、イタズラとして成立しません。 本人にイタズラしている自覚があったとしても、イタズラには成りません。
ですから、「あなたの為にイタズラを止めなさいと言っているのだよ」という発言は間違っているのです。
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この親は、何度言っても改善しない子供に感情的になり、本音が出ていないでしょうか。
その本音は、社会の事など どうでも良いと思っていないでしょうか。
自分や自分の家族さえ良ければ、あとはどうでも良い。
パートナーを愛する気持ちや 家族愛はあるけれど、世間の平穏や国家の安泰は 無関心だったりしていないでしょうか。
被災者なんかどうでも良いし、自衛隊が勝手に守ってくれるから国防なんかどうでも良いと思っていないでしょうか。
こういう本音があると、冷静に正しく躾をしている時でも 結果が良くありません。
なぜなら、子供は言葉を聞かずに、親の表情に敏感だからです。
本音は顔に出やすいものです。 いくら言葉で繕っても、子供は親の本音を表情で察知します。
その本音が、躾の本来の目的である「他人様のため」と違っていれば、結果が良くないわけです。
あるいは、聞き分けの良い子供の方が 子育てが楽だから、という気持ちは無いでしょうか。 大人はいつも忙しいです。その気持ちは私にも分かります。
しかし “自分が楽だから” というのも「私は利己的で、世間や国家の事などどうでも良い」という本音を背中で語っていないでしょうか。
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「お国のためになる人に お成りなさい」こう言う親は少なくなりました。 これは日本だけですが。
他国の親は 今でも子供に言いますし、有史以来日本でも昭和の頃まで言われて来ました。
しかし、“お国のため” という祖国愛を実践する姿勢は、戦後の日本では誤解をされています。
繰り返しますが、祖国を愛さないのが まかり通るのは、日本だけです。
合衆国であり合州国であるアメリカでも、祖国を愛していますし 国旗や国歌を愛しています。
どこの国でも、自国や国旗、国歌、文化を愛していない人は、要注意人物と認識されます。嘘だと思うなら、外国の人や外国に詳しい人に聞いてみてください。
今の日本に足りないのは、国家愛です。
そして、国家愛と 他人様の為にを基底にした躾をしないと、良い結果にはなりません。
ナイフとフォークの使い方を習得するのは大切ですが、それが完璧だとしても 思いやりが無い人は世間で嫌われます。
そして、社会から弾かれます。
◎ ◎ ◎
躾や 自己啓発は、自分のためではないのです。
他人様のためなのです。
大切なあなたが 幸せでありますように。
相談屋さん カフェカウンセリング 横尾けいすけ
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