# 想像 # 妄想 # 潜在意識 想像 と
妄想、この二つを混同しがちですが異なります。
『想像』は、意識して未来(未知)を思ったり考えたりすることです。
『妄想』は、脳が勝手にやってしまうことです。
【
妄想とは 】
先に妄想から説明すると、これは精神医学用語と仏教的表現の両方で使われています。
・ ・ ・
精神医学での妄想とは 「その文化において共有されない誤った確信」 のことを指します。
精神が不安定であったりして、見えたり聞こえたり、いわゆる “認識してしまう” ことが精神医学における妄想です。
例えば、もし夢枕に宇宙人が現れたとしたら、これは妄想ではありません。 それはまさに夢であり、妄想ではありません。
しかし、起きている時に宇宙人が現れた場合は、妄想となります。 現代の日本に於いてはですが。
“現代の日本では妄想だ”と日本に限定する理由は、その文化、つまり日本の文化では宇宙人が共有されていないからです。
ある海外の村では、宇宙人やUFOを今でもみんなが見ています。 そういう民族の村が在るのです。 その村に於いては「宇宙人を見た」ということは妄想と言わないのです。
精神医学で言う妄想とは、あくまでその文化において共有されない誤った確信です。
また、「不安に感じる」 のと 「妄想」とは全く違います。
不安に感じるのは、この後に述べる想像であり、なにも見えたりしないし 聞こえてきたりしません。
不安に思いすぎてしまう症状は、ポジティヴな想像を習慣化することで改善できますので、まずは妄想ではないと理解してください。
・ ・ ・
仏教的表現での妄想は「もうぞう」と読むことが多いのですが、煩悩(ボンノウ)を指します。
そのため、妄想を仏教的表現で使う場合は、健常者が日常的に行っていることも入るのです。
例えば、思春期の男子は、女性の裸体を思ってしまいがち。 彼らはそれを「女の裸を妄想する」と言います。
こういう妄想の表現は、仏教的表現として使っています。
なぜなら、思春期の男子が女性の裸体を思ってしまうのは精神異常ではないからです。
むしろ女性に興味がない方が精神の異常を疑わなくてはなりません。
健常な若者男子が煩悩している状態ですから、妄想という表現を仏教的な表現として使っているです。
ちなみに、「裸を妄想する」という日本語表現は、実は間違っています。
「〜する」は自分の意志でそうするという表現ですが、実際は煩悩で思って “しまう” のですから、「妄想する」ではなくて「妄想してしまう」「妄想がとまらない」「妄想をやめられない」が正解だと考えます。
精神医学、仏教、両方とも、
妄想は脳が勝手にやってしまうことです。
潜在意識が妄想を起こしているのではありませんし、想像することが高じて妄想する人になってしまうこともありません。
【
想像とは 】
対して想像とは、自発的にするものです。
その想像することは、未来、未知のことであります。
(「過去を想像する」とは言いませんから。 過去は思い出すものです)
未来や未知を 自分の知力で思考するのが想像です。
自発的に思ったり考えたりするのが想像です。
にんまり笑顔で自分をポジティヴにしてから想像をしますと、ナイスなアイデアが生まれます。
ぜひ、幸福のための想像を意識的になさってみてください。
幸福な人は、皆、想像をしてからアクションをしています。
大切なあなたが 幸せでありますように。
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