偉大なる平成天皇 〜象徴を創った方〜
- 2019/04/29
- 18:00
# 今上天皇 # 平成天皇 # 上皇陛下

来月5月1日より、上皇陛下 あるいは 平成天皇と成る今上天皇は、大変な偉業を成し遂げた方だと存じます。
陛下の偉業は数々あれど、主な事はふたつ。
ひとつ目は、曖昧な言葉である“象徴”を確立なさったこと。
二つ目は、天皇として一度たりとも失敗をなさらなかったことです。
* * *
本来、天皇を批判する言動はもちろん、評価することも人道に反する事であり、感想することも場合によってはタブーでありますが、今上天皇の偉大さを伝えるために敢えてそれに反する著述をいたします。
また、歴代天皇を比較する事も良くない事でありますが、今上天皇の素晴らしさを伝えるために しいてそれに反する記載をいたします。
* * *
1.象徴を創造し実践なさったこと
周知のとおり大東亜戦争の結果、大日本国憲法の改正をGHQに押しつけられ、昭和22年5月3日までに現行の日本国憲法を日本政府は急遽作成したわけです。
これはアメリカ人に「やれ!」と言われた仕事なので、現行の憲法は英文が先に有りきであり、日本文は和訳に過ぎないという妙な手順で作成されました。
言われて仕方なくやった仕事らしい証しは、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」という始まりの文章からも感じられます。
日本国は分かりますが、日本国の象徴とは何でしょうか?
日本国民統合の象徴とは何でしょうか?
だいたいにして、象徴とは一体なのでしょうか?
現行の憲法の作成目的は、日本人が幸福に過ごすためのものではありません。 アメリカから押しつけられた「(今後は)天皇が政治に関する機能を有しないこと」決めることであります。
当時のGHQは、日本が再び帝国化することを恐れたのです。
ならば憲法の条文にも「天皇には統治権がない」とだけ記載すれば間に合うものを GHQから「だったら、天皇は何をする人なのですか? 天皇は何なのですか?」と質問されたのか分かりませんが『天皇はシンボル(Symbol)』と規定してしまったわけです。 シンボルならアメリカ人にも容易に分かる言葉なので。
つまり、先にSymbolが作成され、そのあと和訳する時に「象徴」という単語を当てはめたわけです。 英和辞書をひけば必ずそう書いてあるし。
しかし言葉というのは、単純なものこそ理解が難しいものです。
例えば、皆さんは「愛」とは何かを説明できますでしょうか?
「美しい」とは何かを言葉にできますでしょうか?
それと同様に『象徴とは一体何なのか?』この概念が解説されぬまま、現行の憲法は施行されてしまいました。
始めに迷惑を被ったのは当時の天皇陛下、昭和天皇です。
つい先日まで神であった昭和天皇は、いきなり人間にされ、そして「今後は象徴としてお願いします」と言われてしまい、きっと戸惑われたと存じます。 今まで世界のどこにも象徴をした人など居ませんでしたから、何をどうすれば良いのか 分からないわけです。
しかし賢明な昭和天皇は「日本の象徴とは何なのか」を模索し、ひとつひとつ実践なさいました。
今上天皇は、ご自身が皇太子の頃から「日本の象徴とは何なのか。自分が即位した時にはどうするべきか」をお考えになっていらっしゃったご様子で、ご在位の31年間で象徴天皇の基本形を創り上げたと言えます。
昭和天皇が試行錯誤の末 象徴天皇の原案を発想なさり、今上天皇がそれを参考に 象徴天皇の概念を確立なさったと言えます。
例えば、天皇が被災地をお見舞いすることや そのタイミング、被災地の国民を見舞うときに陛下でさえも膝を付くこと、これは今上天皇が創った“日本人らしさ”、つまり日本の象徴です。
服装にしても同様で、皇太子時代から普段着はスーツでしたが、その色柄は地味目。 普段の食事も極普通。 自動車の運転がお好きでも、趣味の所有者は国産の小型車。
王子様らしい生活、皇帝らしい立ち振る舞いは全く封じて『象徴天皇とはこういうもの』という概念を確立なさったのです。
これは歴代天皇初の創造行為です。
2.天皇としての天命を成すこと
「自分はどうあるべきか?」という思考をする人は少なくありませんが、それを完璧に成し遂げる人は本当に少ないと思います。
つまり、多くの人が『五十にして 天命を知る』ことはできますが、天から与えられた使命を50歳過ぎて知ることはできても、実践し続けることは容易ではありません。 誰もが迷います。
一流企業の経営者であっても、迷い続けているはずです。「従業員の幸福を創ることが天命」と悟っても結局はリストラをしますし、「安心の良い品をお客様へ」と本気で想えども 会社存続のためにはリコール隠しをしますし … 天命通りに生きることは大変難しいのです。 政治家も同様ですし、芸人も同じなのだと思います。 失敗せずにやり続けることはとても難しい。
しかし、特に大学を卒業されてからの陛下は、天皇としての失敗がまったくありません。
それは素晴らしいことです。 まるで神の子のようです。
高校生の頃にはいわゆる『銀ブラ事件』などということもありましたが、これにしてもたかが銀座でコーヒーを飲んだだけです。 当時は高校生が喫茶店に入ることは退学に匹敵する時代でしたので大きなニュースになりましたが、たかが 取り巻きの大人たちから自由になってコーヒー飲んだだけです。
今上陛下の賢明なポイントは、政治発言を丁寧に避けることです。
インタビューでも、どういう言葉を選べば 政治的発言になるのか否かをお考えになっていらっしゃったし、象徴天皇として大切な政治的影響を与えないことに気配りをなさい続ける日々だったご様子で、その結果が感じられます。
思えば、参議院議員であるにも関わらず 現行憲法を理解していない愚か者である山本太郎氏が天皇に手紙を渡したときも、陛下は 彼の間違い行為に即座に気付き その手紙を見ることせずに付き人に渡しました。 これも大変賢明な対処であります。 幼気な子供がお手紙やお花を陛下に渡すのと国会議員が原発事故の現状を伝えるのはまったく違うことです。 私見ですが、陛下の感想を政治利用しようとした山本太郎参議院議員の行為は犯罪として裁くべきだったと思いますが、このあり得ない事態に瞬時に判断なさり 文章を読むことなく付き人に渡すご行為は賢明でした。 なぜなら受け取らなかったり、手紙を突き返すことをしても園遊会という祝賀会の雰囲気が乱れたからです。
大東亜戦争についても、先の天皇に準じ、極力「敗戦」という言葉を使われませんでした。
丁寧に「焼け野原になった頃」という言葉を選択なさっています。
これはアメリカに対する敗戦を認めないのではなく、日本国民に負け癖を付けたくなかったからです。
例えば、全てのスポーツでもそうですが、負けを反省し自己を改善することは重要でも、いつまでも負けを意識していると勝てなくなるのです。
人生についても同じです。 現代の日本人が、過去に戦争をしたことを反省し 未来永劫に同じ過ちを繰り返さないように工夫した外交をすることは大切ですが、目的は反省することではありません。目的はこれからも戦争にならないような外交をする政治家や国家公務員を選ぶことです。
70年以上昔であって、自分の曾お祖父ちゃんという会ったことのない先祖の時代にあった戦争の責任が誰にあったかなどを反省することが平成世代の目的ではありません。重ねて申し上げますが、我々の目的は戦争にならないための工夫した『外交』です。
天皇は政治的発言を禁じられていますので、そういうメッセージを言葉にできませんが「焼け野原になった頃」という言葉ひとつにも日本国民の象徴から素直に学びたいものです。
* * *
今思えば、陛下が退位を希望され、内閣に政治判断を下すことも大変難解なことだったでしょう。
それゆえ、取り巻きの者が マスコミに意識的にリークしたのかもしれません。 世間の議論が先行した方が波風立たないとお考えに至ったのかもしれません。
終始、政治的な私見を述べず 国民の幸福のために尽くされた、偉大なる今上陛下を敬服致します。
* * *
今上陛下は、5月からは新居を建設することなく、一時的に東京都港区の高輪皇族邸に仮住まいなさり、来年には皇太子時代にお過ごしになった赤坂の東宮御所に戻られる予定。
お若き日思い出の処、東宮御所でゆったりとお過ごしいただければと思います。
皇太子時代 テニスをなさる陛下

大英帝国でエリザベス女王陛下と競馬観戦をなさる 皇太子時代の陛下
来月5月1日より、上皇陛下 あるいは 平成天皇と成る今上天皇は、大変な偉業を成し遂げた方だと存じます。
陛下の偉業は数々あれど、主な事はふたつ。
ひとつ目は、曖昧な言葉である“象徴”を確立なさったこと。
二つ目は、天皇として一度たりとも失敗をなさらなかったことです。
* * *
本来、天皇を批判する言動はもちろん、評価することも人道に反する事であり、感想することも場合によってはタブーでありますが、今上天皇の偉大さを伝えるために敢えてそれに反する著述をいたします。
また、歴代天皇を比較する事も良くない事でありますが、今上天皇の素晴らしさを伝えるために しいてそれに反する記載をいたします。
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1.象徴を創造し実践なさったこと
周知のとおり大東亜戦争の結果、大日本国憲法の改正をGHQに押しつけられ、昭和22年5月3日までに現行の日本国憲法を日本政府は急遽作成したわけです。
これはアメリカ人に「やれ!」と言われた仕事なので、現行の憲法は英文が先に有りきであり、日本文は和訳に過ぎないという妙な手順で作成されました。
言われて仕方なくやった仕事らしい証しは、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」という始まりの文章からも感じられます。
日本国は分かりますが、日本国の象徴とは何でしょうか?
日本国民統合の象徴とは何でしょうか?
だいたいにして、象徴とは一体なのでしょうか?
現行の憲法の作成目的は、日本人が幸福に過ごすためのものではありません。 アメリカから押しつけられた「(今後は)天皇が政治に関する機能を有しないこと」決めることであります。
当時のGHQは、日本が再び帝国化することを恐れたのです。
ならば憲法の条文にも「天皇には統治権がない」とだけ記載すれば間に合うものを GHQから「だったら、天皇は何をする人なのですか? 天皇は何なのですか?」と質問されたのか分かりませんが『天皇はシンボル(Symbol)』と規定してしまったわけです。 シンボルならアメリカ人にも容易に分かる言葉なので。
つまり、先にSymbolが作成され、そのあと和訳する時に「象徴」という単語を当てはめたわけです。 英和辞書をひけば必ずそう書いてあるし。
しかし言葉というのは、単純なものこそ理解が難しいものです。
例えば、皆さんは「愛」とは何かを説明できますでしょうか?
「美しい」とは何かを言葉にできますでしょうか?
それと同様に『象徴とは一体何なのか?』この概念が解説されぬまま、現行の憲法は施行されてしまいました。
始めに迷惑を被ったのは当時の天皇陛下、昭和天皇です。
つい先日まで神であった昭和天皇は、いきなり人間にされ、そして「今後は象徴としてお願いします」と言われてしまい、きっと戸惑われたと存じます。 今まで世界のどこにも象徴をした人など居ませんでしたから、何をどうすれば良いのか 分からないわけです。
しかし賢明な昭和天皇は「日本の象徴とは何なのか」を模索し、ひとつひとつ実践なさいました。
今上天皇は、ご自身が皇太子の頃から「日本の象徴とは何なのか。自分が即位した時にはどうするべきか」をお考えになっていらっしゃったご様子で、ご在位の31年間で象徴天皇の基本形を創り上げたと言えます。
昭和天皇が試行錯誤の末 象徴天皇の原案を発想なさり、今上天皇がそれを参考に 象徴天皇の概念を確立なさったと言えます。
例えば、天皇が被災地をお見舞いすることや そのタイミング、被災地の国民を見舞うときに陛下でさえも膝を付くこと、これは今上天皇が創った“日本人らしさ”、つまり日本の象徴です。
服装にしても同様で、皇太子時代から普段着はスーツでしたが、その色柄は地味目。 普段の食事も極普通。 自動車の運転がお好きでも、趣味の所有者は国産の小型車。
王子様らしい生活、皇帝らしい立ち振る舞いは全く封じて『象徴天皇とはこういうもの』という概念を確立なさったのです。
これは歴代天皇初の創造行為です。
2.天皇としての天命を成すこと
「自分はどうあるべきか?」という思考をする人は少なくありませんが、それを完璧に成し遂げる人は本当に少ないと思います。
つまり、多くの人が『五十にして 天命を知る』ことはできますが、天から与えられた使命を50歳過ぎて知ることはできても、実践し続けることは容易ではありません。 誰もが迷います。
一流企業の経営者であっても、迷い続けているはずです。「従業員の幸福を創ることが天命」と悟っても結局はリストラをしますし、「安心の良い品をお客様へ」と本気で想えども 会社存続のためにはリコール隠しをしますし … 天命通りに生きることは大変難しいのです。 政治家も同様ですし、芸人も同じなのだと思います。 失敗せずにやり続けることはとても難しい。
しかし、特に大学を卒業されてからの陛下は、天皇としての失敗がまったくありません。
それは素晴らしいことです。 まるで神の子のようです。
高校生の頃にはいわゆる『銀ブラ事件』などということもありましたが、これにしてもたかが銀座でコーヒーを飲んだだけです。 当時は高校生が喫茶店に入ることは退学に匹敵する時代でしたので大きなニュースになりましたが、たかが 取り巻きの大人たちから自由になってコーヒー飲んだだけです。
今上陛下の賢明なポイントは、政治発言を丁寧に避けることです。
インタビューでも、どういう言葉を選べば 政治的発言になるのか否かをお考えになっていらっしゃったし、象徴天皇として大切な政治的影響を与えないことに気配りをなさい続ける日々だったご様子で、その結果が感じられます。
思えば、参議院議員であるにも関わらず 現行憲法を理解していない愚か者である山本太郎氏が天皇に手紙を渡したときも、陛下は 彼の間違い行為に即座に気付き その手紙を見ることせずに付き人に渡しました。 これも大変賢明な対処であります。 幼気な子供がお手紙やお花を陛下に渡すのと国会議員が原発事故の現状を伝えるのはまったく違うことです。 私見ですが、陛下の感想を政治利用しようとした山本太郎参議院議員の行為は犯罪として裁くべきだったと思いますが、このあり得ない事態に瞬時に判断なさり 文章を読むことなく付き人に渡すご行為は賢明でした。 なぜなら受け取らなかったり、手紙を突き返すことをしても園遊会という祝賀会の雰囲気が乱れたからです。
大東亜戦争についても、先の天皇に準じ、極力「敗戦」という言葉を使われませんでした。
丁寧に「焼け野原になった頃」という言葉を選択なさっています。
これはアメリカに対する敗戦を認めないのではなく、日本国民に負け癖を付けたくなかったからです。
例えば、全てのスポーツでもそうですが、負けを反省し自己を改善することは重要でも、いつまでも負けを意識していると勝てなくなるのです。
人生についても同じです。 現代の日本人が、過去に戦争をしたことを反省し 未来永劫に同じ過ちを繰り返さないように工夫した外交をすることは大切ですが、目的は反省することではありません。目的はこれからも戦争にならないような外交をする政治家や国家公務員を選ぶことです。
70年以上昔であって、自分の曾お祖父ちゃんという会ったことのない先祖の時代にあった戦争の責任が誰にあったかなどを反省することが平成世代の目的ではありません。重ねて申し上げますが、我々の目的は戦争にならないための工夫した『外交』です。
天皇は政治的発言を禁じられていますので、そういうメッセージを言葉にできませんが「焼け野原になった頃」という言葉ひとつにも日本国民の象徴から素直に学びたいものです。
* * *
今思えば、陛下が退位を希望され、内閣に政治判断を下すことも大変難解なことだったでしょう。
それゆえ、取り巻きの者が マスコミに意識的にリークしたのかもしれません。 世間の議論が先行した方が波風立たないとお考えに至ったのかもしれません。
終始、政治的な私見を述べず 国民の幸福のために尽くされた、偉大なる今上陛下を敬服致します。
* * *
今上陛下は、5月からは新居を建設することなく、一時的に東京都港区の高輪皇族邸に仮住まいなさり、来年には皇太子時代にお過ごしになった赤坂の東宮御所に戻られる予定。
お若き日思い出の処、東宮御所でゆったりとお過ごしいただければと思います。

大切なあなたが 幸せでありますように。
相談屋さん カフェカウンセリング 横尾けいすけ
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