誰も伝えなかった『アナと雪の女王』の本当のメッセージ(前編)
- 2019/10/13
- 22:00
# アナと雪の女王 # アナと雪の女王感想解説 # アナと雪の女王から悟るべきこと# アナと雪の女王2
先日、市立図書館で極普通に小説を読んでいたら、同じフロアに幼児コーナーが設定してあって 幼児が絵本を極普通に選んだりしていたわけです。
静かにすべき図書館内ではありますが、幼児ですから多少の声は仕方ないわけです。その為に幼児コーナーがあるのかもしれません。子供は人格形成の途中ですから、出来の良い子がお行儀良く出来たとしても 出来の悪い子はまだまだTPOを理解出来ないのは仕方ないことです。人の成長のスピードには個性があります。
しかし、親は(本当は世間の大人全員は)幼児や子供に対して常に教育を怠らないべきです。勝手気ままを許しているととんでもない大人になってしまいます。 その図書館内の幼児コーナーで、小学生低学年くらいの女の子が近くに母親らしき女性がいるにも関わらず、彼女が鼻歌を歌い出した時には「この子は将来どうなるのだろう」と心配になりました。図書館内での幼児の多少の声には寛容にすべきと思いますが、小学生くらいになったら謹んでほしいもの。ましてや鼻歌とはありえません。 この女の子と母親らしき女性、双方に小言をしたい気持ちでした。(50歳を過ぎた坊主頭のオッサンが注意すると 警察沙汰になりかねない世の中なので我慢していましたが)
その時に、2014年に『アナと雪の女王』を観た時の不愉快を思い出しました。
話題の映画で春休みだったということもあり、映画館は満員。私のすぐ隣りに中学生くらいの女の子3人組が陣取っていたのです。
ディズニー映画ですから女の子が観たって勿論良いのです。 映画が始まる前におしゃべりしたって良いのです。でも、映画が始まってすぐ、まだエルサが歌う前に「Let It Go」をその中学生たちが歌い始めた時には唖然としました。まだ村人たちが氷を切り出しているシーンの時に なぜにお前たちは「Let It Go」を歌うのか。なぜにエルサより先に歌うのか。エルサと同時に歌ったとしても雑音でしかないのに、こんなにも冒頭の段階でなぜに歌うのか。
その三人はとても幸福な顔をしていましたが、利己的なハッピー感でしか幸福を理解出来ないと、このようなとんでもない人が出来上がります。
* * *
興行収入 $1,274,219,009、日本円で1千300億円を超えた『アナと雪の女王』あなたも観たでしょうか。世界各国で大変多くの人々を感動させたディズニー映画と言えます。
日本の映画興行収入でも『アナと雪の女王』は堂々の第3位です。
因みに、1位は『千と千尋の神隠し』(2001年公開)、2位は『タイタニック』(1997年公開)、4位は『君の名は。』(2016年公開)、5位は『ハリー・ポッターと賢者の石』です。
『アナと雪の女王』を繰り返し観た方も少なくないでしょう。大変感動した人も少なくないでしょう。しかし この映画に明確なメッセージがあるのに気付いた方は、意外にも少ないかもしれません。
他の1位から5位までの映画と同様、人としての性(つまり潜在意識レベル)が感動させられると同時に、この『アナと雪の女王』と1位の『千と千尋の神隠し』には、作者の明確なメッセージがあります。
それに気付かずに「アナもエルサもカワイイよね。『Let It Go』を歌うとなんだか嬉しいよね」とだけ感動していると損をします。
この映画には、自分で自分を幸福にするための手順が描かれています。
魔法の力を得てしまったエルサが本当に幸せになった要因を、あるいは姉に冷たくされ 初恋の人に騙されたアナが最後には幸福になった要因を解説したいと思いますので、「アナと雪の女王2」が公開される前に、2014年に公開された『アナと雪の女王』の本当のメッセージを理解した上で再度この映画をご覧いただければと思います。
『アナと雪の女王』(吹替版)
* * *
「アナ雪は大好きな映画だし感動したけれど、何が良かったかと問われたら答えられない」という方も少なくないのだと思います。
この映画のメッセージは、多くの人々が自分で自分を幸福な人生にするための手順です。
ダブルヒロインの『アナと雪の女王』ですが、まずはエルサ女王が幸せに成る過程を思い出してみてください。
【 エルサの不幸な少女時代 】
アレンデール王国の王女エルサは、8歳になったある明け方、一緒に遊んでいた妹のアナに魔法を当てて意識不明の状態にさせてしまい不幸が始まります。幸い妖精のトロールによってアナは助かりますが、エルサは自分が触れたものが全て凍り付く魔法の能力の増大を押さえるために他者との関わり合いを極端に避けます。自分が持つ能力をコントロールできるようになるまで、他者を驚かさないようにするために両親の王と王妃以外には、妹のアナも含めて魔法の能力を隠すのです。
エルサが8歳から成人するまでの期間は大変不幸だったと言えます。それは触れたもの全てを凍らす魔法の能力があったからと思われがちですが、そうではありません。なぜならその魔法の能力は8歳以前にもあったものだし、物語りのラストシーンでも能力は収まっていないからです。8歳以前にも物語のラストでも同じ能力があるのに、この期間にだけエルサが不幸だったのは魔法の能力が原因ではないということです。当時の本人も気付いていないのですが『己が持つ美点や利点を欠点と決めつけてしまっていたから不幸』だったわけです。
映画の最後は、エルサの魔法でアイススケート場を作り、多くの国民が楽しく過ごすシーンとなります。加減をコントロールできるようになったからの幸福ですが、部屋にふさぎ込んでいた未成年期もその魔法は美点としての種だったわけです。
本当は持っている自分の美点や利点を欠点として認識してしまうと、人は幸福になれません。
背の小さい女性が実は男性から人気があることを理解せずに「もうすこし背が高かったらなぁ」と憧れる女の子はいないでしょうか。逆にモデルや運動選手に成れるかもしれないのに「背が高いのは嫌だ」と思う人はいないでしょうか。
男性なら、自分のおちんちんがもっと大きければと願う若者が少なくないのですが、実際はあんな物が大きくて喜ぶ女性はいません。「大きい ♡」と喜ぶのはエロ動画のストーリーか、場を盛り上げようとする女性の演出です。中には硬さを求める女性はいるかもしれませんが、大きさなどは実はどうでも良いのです。かえって大きいのは苦しいだけ。それを勘違いして「自分のは小さい」と不幸に思う若者男性が過半数以上もいることは残念な限りです。
「私は勉強ができない」と思ってしまっている人は全人口の8割以上います。しかしこれも勘違いです。成績を順位付けすれば、上位の2割くらいが自分は勉強ができると思ってそれ以外の8割ができないと思うのは世の常ですが、事実は能力の差ではありません。勉強に興味があるか否かの違いだけです。義務教育以上の高等学校に進学できたという事実は能力がある証しです。 持っている能力を発揮するために興味を持つ努力をしましょう。
今ではこうやって物書きをしている私も 小学4年生の頃までは「自分は勉強ができないのだな」と認識していました。漢字の習得が不得意だったからです。他の子が5回書き取って覚える一つの漢字を10回書いても覚えられませんでした。これは掛け算九九を覚える時にも、そして中学での英単語を覚える際にも負担に思ったことですが、事実は馬鹿でも勉強ができないのでもありませんでした。事実は漢字を覚えることに興味がなかっただけで能力はあったのです。今も単純記憶は不得意ですが、結果として多くの日本語を私は習得しています。
義務教育レベルの学力では、実は能力の差などないのです。興味があるか否かだけです。己が持つ能力を信じてそれを美点として認識したいものです。
勿論、持っていない能力や非常に弱い能力も人にはあります。私にはエルサのような魔法の能力はありませんし、100mをオリンピック選手並みに走る体力もありません。松たか子のように魅力的に『Let It Go』を歌う能力もありませんし、おまけに髪の毛まで少なくなりました。
しかし 何時の年代も人は自分が持っている能力や個性を昇華させるよう努力したいものです。それが自分と他人様(ヒトサマ)を幸福にする唯一の方法だと私は思います。
部屋にふさぎ込んでいたエルサの行為は、結果的に魔法の能力をコントロールする術になりませんでした。消極的な努力は実らないのです。 アナをも遠ざけるエルサのふさぎ込みは不幸をアナにも広げてしまうだけで、凍らせるパワーは増幅してしまったのです。
せめて妹のアナが思春期になった頃に姉のエルサが全てを話し、姉妹で苦しみを解決しようとすれば、もっと早く魔法をコントロールできるようになったかもしれません。発想の良いアナですから、トロールのところに再度相談に行こうと提案するかもしれません。そして魔法のコントロールができるようになるのが戴冠式の前だったかもしれません。
後にも述べますが、人は 独りでは解決できない事も信用のできる人となら解決できるのです。
【 歌唱 Let It Goの誤解 】
松たか子ver(日本語吹替版)『Let It Go』
松たか子の大変魅力的な歌唱力も手伝って『Let It Go』という歌は大ヒットしました。私は今聞いても涙が溢れ感動します。
しかしこの感動は、いわば潜在意識の思い違いです。 Let It Goは “抑えていた感情を開放しよう”という意味ですが、これが「ありのまま」と翻訳されたのが原因。
人の潜在意識には、向上心がある反面、チャレンジという冒険を恐れる局面もあるのです。「ありのまま」を「今の自分のまま」と理解してしまうと「今のままの自分でも良いではないか」と思ってしまいこの日本語歌詞がぐっと来ます。潜在意識にぐっと来ます。
しかし実際は成績が悪いよりも良い方が嬉しいですし、引きこもっているよりも多くの人とコミニュケーションをした方が幸福です。本当は持っている美点を発揮した方が人生幸福になるのです。
登山は苦しいし危険なので身を守ろうとする潜在意識は嫌うのですが、実際はやり遂げた方がハッピーです。補助無し自転車だって 水泳だって 逆上がりだって同じです。
出来ない状態という本来持っている能力を発揮していないのが「ありのまま」ではありませんし、出来ない状態を維持するのは幸福ではありません。楽ですが。
さらに言えば、楽なのを幸福だと勘違いしている人も少なくありません。楽なのと幸福は別であります。真逆であることも少なくありません。
『Let It Go』が歌われるシーンは、魔法の力を持て余し人々から非難されたエルサがノースマウンテンの山奥に逃避したときに歌われます。エルサはこの時にパニックになっているので仕方ないことですが、誰もいないノースマウンテンではとても楽だったわけです。
楽だという気持ちを幸福だと勘違いした彼女は気分が良くなり、氷の城を魔法で造りそれを美しく思います。その時歌われるのが『Let It Go』なわけですが、このシーンではエルサが本当に幸福になったのではないことを気付いてほしいものです。
もし、妹のアナが探しに来なかったら、エルサは氷の城に引きこもって何時までも幸福だったのでしょうか。それはあり得ないと思います。
今の自分には楽なことが幸せなこととは限らないとはそういうことです。
ディズニーは物語の終盤にエルサを幸福にします。能力のコントロールの仕方が、博愛であることを気付かせてエルサを幸福に導きます。けっして『Let It Go』が歌われたノースマウンテンの氷の城の時点がハッピーシーンではないのです。
それを勘違いして『Let It Go』をご機嫌に歌い「ありのままで良いのよね。今のままが一番ね」と思ってしまった人はいないでしょうか。学校に行かないで引きこもりの理由付けにしてしまった人はいないでしょうか。
実際には 学校内で命に関わるような虐待に遭って学校に行きたくない人もいるのですが、その一方 学校に行かないと楽だからで引きこもっている人もいないでしょうか。
たしかに学校に行かないと楽なのです。家で寝っ転がっていると楽なのです。他人と関わり合いを持たないと楽なのです。でも、潜在意識が喜ぶ楽なのが幸福に成るとは限りません。
エルサがどの時点で本当に幸福に成ったかを改めて観て、楽と幸せに違いに気付きたいものです。
* * *
今回はエルサの視点で『楽=幸福とは限らない』というディズニーのメッセージを解説しました。最後にエルサが幸せに成れたのが何故かを見つけるのはあなたです。 是非もう一度『アナと雪の女王』を観て、自分で自分を幸福にするための手順を探り当ててください。
次回はアナの視点で幸福に成るためのストーリーを考えていきたいと思います。乞うご期待。
先日、市立図書館で極普通に小説を読んでいたら、同じフロアに幼児コーナーが設定してあって 幼児が絵本を極普通に選んだりしていたわけです。
静かにすべき図書館内ではありますが、幼児ですから多少の声は仕方ないわけです。その為に幼児コーナーがあるのかもしれません。子供は人格形成の途中ですから、出来の良い子がお行儀良く出来たとしても 出来の悪い子はまだまだTPOを理解出来ないのは仕方ないことです。人の成長のスピードには個性があります。
しかし、親は(本当は世間の大人全員は)幼児や子供に対して常に教育を怠らないべきです。勝手気ままを許しているととんでもない大人になってしまいます。 その図書館内の幼児コーナーで、小学生低学年くらいの女の子が近くに母親らしき女性がいるにも関わらず、彼女が鼻歌を歌い出した時には「この子は将来どうなるのだろう」と心配になりました。図書館内での幼児の多少の声には寛容にすべきと思いますが、小学生くらいになったら謹んでほしいもの。ましてや鼻歌とはありえません。 この女の子と母親らしき女性、双方に小言をしたい気持ちでした。(50歳を過ぎた坊主頭のオッサンが注意すると 警察沙汰になりかねない世の中なので我慢していましたが)
その時に、2014年に『アナと雪の女王』を観た時の不愉快を思い出しました。
話題の映画で春休みだったということもあり、映画館は満員。私のすぐ隣りに中学生くらいの女の子3人組が陣取っていたのです。
ディズニー映画ですから女の子が観たって勿論良いのです。 映画が始まる前におしゃべりしたって良いのです。でも、映画が始まってすぐ、まだエルサが歌う前に「Let It Go」をその中学生たちが歌い始めた時には唖然としました。まだ村人たちが氷を切り出しているシーンの時に なぜにお前たちは「Let It Go」を歌うのか。なぜにエルサより先に歌うのか。エルサと同時に歌ったとしても雑音でしかないのに、こんなにも冒頭の段階でなぜに歌うのか。
その三人はとても幸福な顔をしていましたが、利己的なハッピー感でしか幸福を理解出来ないと、このようなとんでもない人が出来上がります。
* * *
興行収入 $1,274,219,009、日本円で1千300億円を超えた『アナと雪の女王』あなたも観たでしょうか。世界各国で大変多くの人々を感動させたディズニー映画と言えます。
日本の映画興行収入でも『アナと雪の女王』は堂々の第3位です。
因みに、1位は『千と千尋の神隠し』(2001年公開)、2位は『タイタニック』(1997年公開)、4位は『君の名は。』(2016年公開)、5位は『ハリー・ポッターと賢者の石』です。
『アナと雪の女王』を繰り返し観た方も少なくないでしょう。大変感動した人も少なくないでしょう。しかし この映画に明確なメッセージがあるのに気付いた方は、意外にも少ないかもしれません。
他の1位から5位までの映画と同様、人としての性(つまり潜在意識レベル)が感動させられると同時に、この『アナと雪の女王』と1位の『千と千尋の神隠し』には、作者の明確なメッセージがあります。
それに気付かずに「アナもエルサもカワイイよね。『Let It Go』を歌うとなんだか嬉しいよね」とだけ感動していると損をします。
この映画には、自分で自分を幸福にするための手順が描かれています。
魔法の力を得てしまったエルサが本当に幸せになった要因を、あるいは姉に冷たくされ 初恋の人に騙されたアナが最後には幸福になった要因を解説したいと思いますので、「アナと雪の女王2」が公開される前に、2014年に公開された『アナと雪の女王』の本当のメッセージを理解した上で再度この映画をご覧いただければと思います。
『アナと雪の女王』(吹替版)
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「アナ雪は大好きな映画だし感動したけれど、何が良かったかと問われたら答えられない」という方も少なくないのだと思います。
この映画のメッセージは、多くの人々が自分で自分を幸福な人生にするための手順です。
ダブルヒロインの『アナと雪の女王』ですが、まずはエルサ女王が幸せに成る過程を思い出してみてください。
【 エルサの不幸な少女時代 】
アレンデール王国の王女エルサは、8歳になったある明け方、一緒に遊んでいた妹のアナに魔法を当てて意識不明の状態にさせてしまい不幸が始まります。幸い妖精のトロールによってアナは助かりますが、エルサは自分が触れたものが全て凍り付く魔法の能力の増大を押さえるために他者との関わり合いを極端に避けます。自分が持つ能力をコントロールできるようになるまで、他者を驚かさないようにするために両親の王と王妃以外には、妹のアナも含めて魔法の能力を隠すのです。
エルサが8歳から成人するまでの期間は大変不幸だったと言えます。それは触れたもの全てを凍らす魔法の能力があったからと思われがちですが、そうではありません。なぜならその魔法の能力は8歳以前にもあったものだし、物語りのラストシーンでも能力は収まっていないからです。8歳以前にも物語のラストでも同じ能力があるのに、この期間にだけエルサが不幸だったのは魔法の能力が原因ではないということです。当時の本人も気付いていないのですが『己が持つ美点や利点を欠点と決めつけてしまっていたから不幸』だったわけです。
映画の最後は、エルサの魔法でアイススケート場を作り、多くの国民が楽しく過ごすシーンとなります。加減をコントロールできるようになったからの幸福ですが、部屋にふさぎ込んでいた未成年期もその魔法は美点としての種だったわけです。
本当は持っている自分の美点や利点を欠点として認識してしまうと、人は幸福になれません。
背の小さい女性が実は男性から人気があることを理解せずに「もうすこし背が高かったらなぁ」と憧れる女の子はいないでしょうか。逆にモデルや運動選手に成れるかもしれないのに「背が高いのは嫌だ」と思う人はいないでしょうか。
男性なら、自分のおちんちんがもっと大きければと願う若者が少なくないのですが、実際はあんな物が大きくて喜ぶ女性はいません。「大きい ♡」と喜ぶのはエロ動画のストーリーか、場を盛り上げようとする女性の演出です。中には硬さを求める女性はいるかもしれませんが、大きさなどは実はどうでも良いのです。かえって大きいのは苦しいだけ。それを勘違いして「自分のは小さい」と不幸に思う若者男性が過半数以上もいることは残念な限りです。
「私は勉強ができない」と思ってしまっている人は全人口の8割以上います。しかしこれも勘違いです。成績を順位付けすれば、上位の2割くらいが自分は勉強ができると思ってそれ以外の8割ができないと思うのは世の常ですが、事実は能力の差ではありません。勉強に興味があるか否かの違いだけです。義務教育以上の高等学校に進学できたという事実は能力がある証しです。 持っている能力を発揮するために興味を持つ努力をしましょう。
今ではこうやって物書きをしている私も 小学4年生の頃までは「自分は勉強ができないのだな」と認識していました。漢字の習得が不得意だったからです。他の子が5回書き取って覚える一つの漢字を10回書いても覚えられませんでした。これは掛け算九九を覚える時にも、そして中学での英単語を覚える際にも負担に思ったことですが、事実は馬鹿でも勉強ができないのでもありませんでした。事実は漢字を覚えることに興味がなかっただけで能力はあったのです。今も単純記憶は不得意ですが、結果として多くの日本語を私は習得しています。
義務教育レベルの学力では、実は能力の差などないのです。興味があるか否かだけです。己が持つ能力を信じてそれを美点として認識したいものです。
勿論、持っていない能力や非常に弱い能力も人にはあります。私にはエルサのような魔法の能力はありませんし、100mをオリンピック選手並みに走る体力もありません。松たか子のように魅力的に『Let It Go』を歌う能力もありませんし、おまけに髪の毛まで少なくなりました。
しかし 何時の年代も人は自分が持っている能力や個性を昇華させるよう努力したいものです。それが自分と他人様(ヒトサマ)を幸福にする唯一の方法だと私は思います。
部屋にふさぎ込んでいたエルサの行為は、結果的に魔法の能力をコントロールする術になりませんでした。消極的な努力は実らないのです。 アナをも遠ざけるエルサのふさぎ込みは不幸をアナにも広げてしまうだけで、凍らせるパワーは増幅してしまったのです。
せめて妹のアナが思春期になった頃に姉のエルサが全てを話し、姉妹で苦しみを解決しようとすれば、もっと早く魔法をコントロールできるようになったかもしれません。発想の良いアナですから、トロールのところに再度相談に行こうと提案するかもしれません。そして魔法のコントロールができるようになるのが戴冠式の前だったかもしれません。
後にも述べますが、人は 独りでは解決できない事も信用のできる人となら解決できるのです。
【 歌唱 Let It Goの誤解 】
松たか子ver(日本語吹替版)『Let It Go』
松たか子の大変魅力的な歌唱力も手伝って『Let It Go』という歌は大ヒットしました。私は今聞いても涙が溢れ感動します。
しかしこの感動は、いわば潜在意識の思い違いです。 Let It Goは “抑えていた感情を開放しよう”という意味ですが、これが「ありのまま」と翻訳されたのが原因。
人の潜在意識には、向上心がある反面、チャレンジという冒険を恐れる局面もあるのです。「ありのまま」を「今の自分のまま」と理解してしまうと「今のままの自分でも良いではないか」と思ってしまいこの日本語歌詞がぐっと来ます。潜在意識にぐっと来ます。
しかし実際は成績が悪いよりも良い方が嬉しいですし、引きこもっているよりも多くの人とコミニュケーションをした方が幸福です。本当は持っている美点を発揮した方が人生幸福になるのです。
登山は苦しいし危険なので身を守ろうとする潜在意識は嫌うのですが、実際はやり遂げた方がハッピーです。補助無し自転車だって 水泳だって 逆上がりだって同じです。
出来ない状態という本来持っている能力を発揮していないのが「ありのまま」ではありませんし、出来ない状態を維持するのは幸福ではありません。楽ですが。
さらに言えば、楽なのを幸福だと勘違いしている人も少なくありません。楽なのと幸福は別であります。真逆であることも少なくありません。
『Let It Go』が歌われるシーンは、魔法の力を持て余し人々から非難されたエルサがノースマウンテンの山奥に逃避したときに歌われます。エルサはこの時にパニックになっているので仕方ないことですが、誰もいないノースマウンテンではとても楽だったわけです。
楽だという気持ちを幸福だと勘違いした彼女は気分が良くなり、氷の城を魔法で造りそれを美しく思います。その時歌われるのが『Let It Go』なわけですが、このシーンではエルサが本当に幸福になったのではないことを気付いてほしいものです。
もし、妹のアナが探しに来なかったら、エルサは氷の城に引きこもって何時までも幸福だったのでしょうか。それはあり得ないと思います。
今の自分には楽なことが幸せなこととは限らないとはそういうことです。
ディズニーは物語の終盤にエルサを幸福にします。能力のコントロールの仕方が、博愛であることを気付かせてエルサを幸福に導きます。けっして『Let It Go』が歌われたノースマウンテンの氷の城の時点がハッピーシーンではないのです。
それを勘違いして『Let It Go』をご機嫌に歌い「ありのままで良いのよね。今のままが一番ね」と思ってしまった人はいないでしょうか。学校に行かないで引きこもりの理由付けにしてしまった人はいないでしょうか。
実際には 学校内で命に関わるような虐待に遭って学校に行きたくない人もいるのですが、その一方 学校に行かないと楽だからで引きこもっている人もいないでしょうか。
たしかに学校に行かないと楽なのです。家で寝っ転がっていると楽なのです。他人と関わり合いを持たないと楽なのです。でも、潜在意識が喜ぶ楽なのが幸福に成るとは限りません。
エルサがどの時点で本当に幸福に成ったかを改めて観て、楽と幸せに違いに気付きたいものです。
* * *
今回はエルサの視点で『楽=幸福とは限らない』というディズニーのメッセージを解説しました。最後にエルサが幸せに成れたのが何故かを見つけるのはあなたです。 是非もう一度『アナと雪の女王』を観て、自分で自分を幸福にするための手順を探り当ててください。
次回はアナの視点で幸福に成るためのストーリーを考えていきたいと思います。乞うご期待。
大切なあなたが 幸せでありますように。
相談屋さん カフェカウンセリング 横尾けいすけ
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