ドラマ『半沢直樹』は、昔話『桃太郎』のようにはならないだろう その1
- 2020/09/20
- 21:30
#半沢直樹 #池井戸潤 #福澤克雄 #堺雅人 #香川照之 #上戸彩 #及川光博 #片岡愛之助 #北大路欣也
【 ワクワクのドラマは 前作も今作も繰り返し観たい 】
多くの方と同様、私も TBSドラマ『半沢直樹』の大ファンです。 現在放送の『2020年度版』を録画して繰り返し観るだけでは飽き足らず、その前作である『2013年度放送版』をParaviで繰り返し観ています。
(Paraviのディレクターカット版には 削られたシーンがあるようにも思えるのですが)
そうこうして、ワクワクしながら2013年版と その続きである2020年版を何度も観ていると、何となく雰囲気の違いに気がつきます。 繰り返しますが両者は連続版です。 にも関わらず、登場人物の性格と言いましょうか、ドラマ全体の空気感、あるいはカラーと言いましょうか、大きく違うのです。
【 大和田さんの性格激変 】
一番雰囲気が変わったのは、準主役ともいえる大和田暁(オオワダアキラ 演:香川照之さん)です。
大和田は、2013年版では 日本三大銀行の一つ、東京中央銀行という大銀行の常務取締役。しかし2020年版からその銀行の取締役に降格処分を受けています。 処分の要因は 半沢直樹(ハンザワ ナオキ 演:堺雅人さん)の “100倍返し”です。
それにも関わらず、2013年版で冷淡な言動でクールなリアクションだった大和田は、2020年版では 深刻な状況でも必ずギャグを噛ます愉快な中年男に変わっています。 豹変しています。
国税庁 金融庁の黒崎駿一(クロサキ シュンイチ 演:片岡愛之助さん)も 2020年版では ひょうきん者なところに拍車が掛かっていますが これは対立する半沢という男性に敬愛が生まれたからかもしれません。 なにせ、彼はインテリながらもオネェの設定ですので。
ですが 大和田の性格激変は、毎回の楽しみである反面、不自然さえ感じざるおえません。
・・・凡人の常識での感想ですが。
【 代表する大和田さんの違和感 】
大和田の愉快なオジサンへの変化は、2020年版の第2話でいきなり飛び出しました。 第1話での登場がほぼ無かった大和田暁。 やはり、大物は後から現れるのが演出の基本でしょうか、第2話で視聴者から「出たー 大和田暁!」と言わせたであろう東京中央銀行本社の大階段での登場シーン。やはり彼には赤じゅうたんが似合います。 そしてここで宿敵の半沢直樹と出会います。
しかし “出会った”というより、おそらく大和田は、半沢がここを通って本社を出るのを待ち伏せしていたのだと推測します。 子会社に出向させられている半沢が、久しぶりに出向元の本社に来たという情報を大和田は部下から得て、慌てて出口付近で待ち構えて待っているという大和田の性格は一体どうなのでしょう。 繰り返し申し上げますが、大和田は取締役員です。 また、2013年版では常務取締役です。 さらに言えば、1957年生まれ東京都港区育ち、高校は私立帝都麻布台高校、大学は東京大学法学部、銀行入行後も 最年少で常務取締役に登り詰めた生粋のエリートです。
2013年版の最終話で、半沢の “100倍返し”によって常務から平の取締役に降格したとはいえ、彼には過大なプライドが今もあるはずです。 そういう男が、自分を降格させた宿敵の半沢に 嫌みを言うだけのために待ち伏せをするでしょうか。「(半沢、あんたは)お し ま い Death!」と子供じみた嫌みギャグを言うために、自分の役員室から大階段まで猛ダッシュで血相変えるでしょうか。
(ちなみに「〜です!」を「〜Death(死)」と初めてしたのは、広瀬すずさん主演の映画『一度死んでみた』でした。 大和田は この映画を観て影響されたのでしょうか。 メタルバンドのボーカルであり大学生役の広瀬すずさんを 大和田も私のように「可愛いなぁ」と思い「お し ま い Death!」と言ったのでしょうか。 こういうところも本当に彼の性格は激変です)
さて 思い出していただきたいのですが、2013年版の最終回で 大和田は 半沢に いわゆる土下座をしました。 大和田は、部下であり課長の半沢に「土下座しろー!」と怒鳴られ、上司であり常務であるにも関わらず、そしてインテリコースまっしぐらの彼が、両膝を床に付けて頭を下げたのです。 しかも頭取以下役員全員が見る役員会議室で。
これは当時の大和田にしてみれば、人生最大の屈辱です。
これが原因なのか、半沢は東京セントラル証券という子会社に出向を命じられます。 同じ銀行の常務に「土下座しろ!」と課長が言ってしまったのですから致し方無いでしょう。 きっと 中野渡頭取(演:北大路欣也さん)は 銀行存続の意味も踏まえてバランスを取ったのでしょう。
しかし、常識的に(あくまで凡人の常識としてですが)考えれば、大和田は、土下座を強いた部下の半沢が子会社に出向してざまあみろと思い、自分も 出向だろうと思っていたが 常務から役員に降格でほっとした事、そしてそれから数年経った程度で、赤っ恥をかかせた半沢への恨みが消えるはずがないのです。
考えてもみてください。 常務が課長に謝罪するどころか、土下座ですよ。 たしかに何日か前、半沢に「そのときは土下座してくれますか !?」と問われた大和田は「いいですよ」と約束はしましたが、日本人が土下座するというのは大変な屈辱なわけです。 大銀行の常務が同行の課長に対してなら尚更です。 まさに「死んでも嫌だねぇ!」な屈辱を半沢から受けたわけです。
「顔も見たくない!」どころか、抹殺してもおかしくない半沢に対して、「久しぶりだから一言嫌みを言ってやろう」と大和田が思うとは、凡人の常識にはあり得ない事です。
それなのに、なぜ半沢を待ち伏せしてまでして「お し ま い Death!」と嫌みギャグを発したのでしょうか。
ところで、半沢には 大和田の土下座が必要だったようです。 なにせ 半沢の父親は、大和田に雨の中土下座をしたのですから。 そして数日後に大和田の計画的企みで 半沢の父の経営するネジ工場が倒産確実、そして首吊り自殺をするのですから。 学生の頃、それを全て見ていた半沢直樹が大和田に 親の敵を取るのは当然でしょう。(土下座と自殺をした父の敵討ちが、土下座だけで良いのか否かは意見の分かれるところですが)
大和田の土下座で半沢がどれだけスッキリしたかは分かりません。 おそらく … おそらくですが、半沢自身もどう敵討ちをすべきか、あるいは親の敵を討ったところで何かが変わるのだろうか、こういう悩みを抱えて育ち そして大和田の居る銀行を選んで入行したのだと思います。 剣道により武士道を理解している半沢だからこそ、敵討ちの正当性と不合理を悩んでいたことでしょう。「敵討ちに意味があるのか」と平成の武士が思っても不思議はありません。
現代でも 他の作品『竜の道』などでは実際に親の敵を取ろうとします。『竜の道』もワクワクのドラマでした。 アニメ声の松本まりかさんが 悪女霧島まゆみ役を演じるのはユニークで良かったです。 しかし 繰り返しますが、半沢は 武士道をする熟知する現代の紳士だからこそ、敵討ちの正否に悩むのだと思うのです。
ところが、2013年版での冷淡な大和田には、そんなの関係ないのです。 おそらく 半沢の父親を自殺に追い込んだ自覚もなく、半沢にそれを問い詰められても右から左に受け流す、そんな性格の大和田が自分を降格させた半沢を許すわけがないのです。
なのに「お し ま い Death!」だの、歌舞伎の常套句「さあ、さあ、さーアサァサァサァ!」を半沢と共に言ったり、一体、大和田はどうなってしまったのでしょう。
【 令和の時代に必要な 演出の変化 】
大和田以外も 金融庁の黒崎、そして半沢は、どうしてこうも丸い性格になってしまったのでしょうか。
きっと そこには 制作者の『令和の時代だからこそ』のメッセージがあるのだと私は思うのです。
つまりこの雰囲気の変化の不自然は、ドラマ制作者側として必要だったのだろうと私は想像します。 特に第8話の大和田と半沢の “瞬間握手”を観て「これはきっと素晴らしい結末になるに違いない」と今後の2020年版のエンディングを思うのです。
* * *
2013年版の『親の敵討ち』というテーマを忘れたかのような2020年版。 これは単なる時代への迎合でしょうか。 いや、私は違うと思います。
きっと、制作者の福澤克雄さん(フクザワ カツオ)は、昔話『桃太郎』を超えるエンディングを考えているに違いありません。
このblogの続きは 2020年版最終回の放送後に致しますが、ヒントは 福澤克雄さんが慶應義塾のラガーマンであったということです。
(つづく)
【 ワクワクのドラマは 前作も今作も繰り返し観たい 】
多くの方と同様、私も TBSドラマ『半沢直樹』の大ファンです。 現在放送の『2020年度版』を録画して繰り返し観るだけでは飽き足らず、その前作である『2013年度放送版』をParaviで繰り返し観ています。
(Paraviのディレクターカット版には 削られたシーンがあるようにも思えるのですが)
そうこうして、ワクワクしながら2013年版と その続きである2020年版を何度も観ていると、何となく雰囲気の違いに気がつきます。 繰り返しますが両者は連続版です。 にも関わらず、登場人物の性格と言いましょうか、ドラマ全体の空気感、あるいはカラーと言いましょうか、大きく違うのです。
【 大和田さんの性格激変 】
一番雰囲気が変わったのは、準主役ともいえる大和田暁(オオワダアキラ 演:香川照之さん)です。
大和田は、2013年版では 日本三大銀行の一つ、東京中央銀行という大銀行の常務取締役。しかし2020年版からその銀行の取締役に降格処分を受けています。 処分の要因は 半沢直樹(ハンザワ ナオキ 演:堺雅人さん)の “100倍返し”です。
それにも関わらず、2013年版で冷淡な言動でクールなリアクションだった大和田は、2020年版では 深刻な状況でも必ずギャグを噛ます愉快な中年男に変わっています。 豹変しています。
国税庁 金融庁の黒崎駿一(クロサキ シュンイチ 演:片岡愛之助さん)も 2020年版では ひょうきん者なところに拍車が掛かっていますが これは対立する半沢という男性に敬愛が生まれたからかもしれません。 なにせ、彼はインテリながらもオネェの設定ですので。
ですが 大和田の性格激変は、毎回の楽しみである反面、不自然さえ感じざるおえません。
・・・凡人の常識での感想ですが。
【 代表する大和田さんの違和感 】
大和田の愉快なオジサンへの変化は、2020年版の第2話でいきなり飛び出しました。 第1話での登場がほぼ無かった大和田暁。 やはり、大物は後から現れるのが演出の基本でしょうか、第2話で視聴者から「出たー 大和田暁!」と言わせたであろう東京中央銀行本社の大階段での登場シーン。やはり彼には赤じゅうたんが似合います。 そしてここで宿敵の半沢直樹と出会います。
しかし “出会った”というより、おそらく大和田は、半沢がここを通って本社を出るのを待ち伏せしていたのだと推測します。 子会社に出向させられている半沢が、久しぶりに出向元の本社に来たという情報を大和田は部下から得て、慌てて出口付近で待ち構えて待っているという大和田の性格は一体どうなのでしょう。 繰り返し申し上げますが、大和田は取締役員です。 また、2013年版では常務取締役です。 さらに言えば、1957年生まれ東京都港区育ち、高校は私立帝都麻布台高校、大学は東京大学法学部、銀行入行後も 最年少で常務取締役に登り詰めた生粋のエリートです。
2013年版の最終話で、半沢の “100倍返し”によって常務から平の取締役に降格したとはいえ、彼には過大なプライドが今もあるはずです。 そういう男が、自分を降格させた宿敵の半沢に 嫌みを言うだけのために待ち伏せをするでしょうか。「(半沢、あんたは)お し ま い Death!」と子供じみた嫌みギャグを言うために、自分の役員室から大階段まで猛ダッシュで血相変えるでしょうか。
(ちなみに「〜です!」を「〜Death(死)」と初めてしたのは、広瀬すずさん主演の映画『一度死んでみた』でした。 大和田は この映画を観て影響されたのでしょうか。 メタルバンドのボーカルであり大学生役の広瀬すずさんを 大和田も私のように「可愛いなぁ」と思い「お し ま い Death!」と言ったのでしょうか。 こういうところも本当に彼の性格は激変です)
さて 思い出していただきたいのですが、2013年版の最終回で 大和田は 半沢に いわゆる土下座をしました。 大和田は、部下であり課長の半沢に「土下座しろー!」と怒鳴られ、上司であり常務であるにも関わらず、そしてインテリコースまっしぐらの彼が、両膝を床に付けて頭を下げたのです。 しかも頭取以下役員全員が見る役員会議室で。
これは当時の大和田にしてみれば、人生最大の屈辱です。
これが原因なのか、半沢は東京セントラル証券という子会社に出向を命じられます。 同じ銀行の常務に「土下座しろ!」と課長が言ってしまったのですから致し方無いでしょう。 きっと 中野渡頭取(演:北大路欣也さん)は 銀行存続の意味も踏まえてバランスを取ったのでしょう。
しかし、常識的に(あくまで凡人の常識としてですが)考えれば、大和田は、土下座を強いた部下の半沢が子会社に出向してざまあみろと思い、自分も 出向だろうと思っていたが 常務から役員に降格でほっとした事、そしてそれから数年経った程度で、赤っ恥をかかせた半沢への恨みが消えるはずがないのです。
考えてもみてください。 常務が課長に謝罪するどころか、土下座ですよ。 たしかに何日か前、半沢に「そのときは土下座してくれますか !?」と問われた大和田は「いいですよ」と約束はしましたが、日本人が土下座するというのは大変な屈辱なわけです。 大銀行の常務が同行の課長に対してなら尚更です。 まさに「死んでも嫌だねぇ!」な屈辱を半沢から受けたわけです。
「顔も見たくない!」どころか、抹殺してもおかしくない半沢に対して、「久しぶりだから一言嫌みを言ってやろう」と大和田が思うとは、凡人の常識にはあり得ない事です。
それなのに、なぜ半沢を待ち伏せしてまでして「お し ま い Death!」と嫌みギャグを発したのでしょうか。
ところで、半沢には 大和田の土下座が必要だったようです。 なにせ 半沢の父親は、大和田に雨の中土下座をしたのですから。 そして数日後に大和田の計画的企みで 半沢の父の経営するネジ工場が倒産確実、そして首吊り自殺をするのですから。 学生の頃、それを全て見ていた半沢直樹が大和田に 親の敵を取るのは当然でしょう。(土下座と自殺をした父の敵討ちが、土下座だけで良いのか否かは意見の分かれるところですが)
大和田の土下座で半沢がどれだけスッキリしたかは分かりません。 おそらく … おそらくですが、半沢自身もどう敵討ちをすべきか、あるいは親の敵を討ったところで何かが変わるのだろうか、こういう悩みを抱えて育ち そして大和田の居る銀行を選んで入行したのだと思います。 剣道により武士道を理解している半沢だからこそ、敵討ちの正当性と不合理を悩んでいたことでしょう。「敵討ちに意味があるのか」と平成の武士が思っても不思議はありません。
現代でも 他の作品『竜の道』などでは実際に親の敵を取ろうとします。『竜の道』もワクワクのドラマでした。 アニメ声の松本まりかさんが 悪女霧島まゆみ役を演じるのはユニークで良かったです。 しかし 繰り返しますが、半沢は 武士道をする熟知する現代の紳士だからこそ、敵討ちの正否に悩むのだと思うのです。
ところが、2013年版での冷淡な大和田には、そんなの関係ないのです。 おそらく 半沢の父親を自殺に追い込んだ自覚もなく、半沢にそれを問い詰められても右から左に受け流す、そんな性格の大和田が自分を降格させた半沢を許すわけがないのです。
なのに「お し ま い Death!」だの、歌舞伎の常套句「さあ、さあ、さーアサァサァサァ!」を半沢と共に言ったり、一体、大和田はどうなってしまったのでしょう。
【 令和の時代に必要な 演出の変化 】
大和田以外も 金融庁の黒崎、そして半沢は、どうしてこうも丸い性格になってしまったのでしょうか。
きっと そこには 制作者の『令和の時代だからこそ』のメッセージがあるのだと私は思うのです。
つまりこの雰囲気の変化の不自然は、ドラマ制作者側として必要だったのだろうと私は想像します。 特に第8話の大和田と半沢の “瞬間握手”を観て「これはきっと素晴らしい結末になるに違いない」と今後の2020年版のエンディングを思うのです。
* * *
2013年版の『親の敵討ち』というテーマを忘れたかのような2020年版。 これは単なる時代への迎合でしょうか。 いや、私は違うと思います。
きっと、制作者の福澤克雄さん(フクザワ カツオ)は、昔話『桃太郎』を超えるエンディングを考えているに違いありません。
このblogの続きは 2020年版最終回の放送後に致しますが、ヒントは 福澤克雄さんが慶應義塾のラガーマンであったということです。
(つづく)
大切なあなたが 幸せでありますように。
相談屋さん カフェカウンセリング 横尾けいすけ
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