ドラマ『半沢直樹』は、昔話『桃太郎』のようにはならないだろう その4
- 2020/11/01
- 20:00
#半沢直樹 #池井戸潤 #福澤克雄 #堺雅人 #香川照之 #上戸彩 #及川光博 #片岡愛之助 #北大路欣也 # 松本まりか # 鬼滅の刃 # 竈門炭治郎
前回は “勧善懲悪についてご紹介” しました。 勧善懲悪をご紹介というのも妙なのですが、なにせ 江戸期から昭和期まで長年に渡って庶民に愛されたこの生き方を近年はタブー視する傾向があり、勧善懲悪という言葉自体も死語になっている様子です。
ある言葉が死語になると、不思議なことに その思いをする人も極端に減少するものです。
例えば、周囲の多くの男性に愛嬌のある言動をする若い女性、後に『ぶりっ子』と言われる女の娘(オンナノコ)がまず存在していて、それを嫉妬する女の娘が「ぶりっ子じゃん」と揶揄したという順番です。 さらにその次に「ぶりっ子と言うのはイジメだから良くない」と禁じる時期があり、その後に『ぶりっ子=あざとい』という思いが庶民の思考から消え、最後にぶりっ子自体が減少したのであります。
順番としては、
1.多数のぶりっ子の出現
2.ぶりっ子への非難
3.ぶりっ子非難に対する禁じ
4.ぶりっ子という言葉の死語化
5.ぶりっ子という認識の減少(無関心)
6.ぶりっ子の減少
という流れです。
決して、ぶりっ子が減少したから ぶりっ子という言葉が死語になったのではありません。
ちなみに、私は 松本まりかさんという女優が最近お気に入りなのですが、この方の話し方や表情の作り方は 昭和期のぶりっ子を参考にされてのオリジナルな個人性を演出されているのだと思うのですが、今の時代ではぶりっ子と認識されません。 あざとい女と言われるかもしれませんが、ぶりっ子とは言われません。 まさに死語になると人の思考から無くなるということです。
勧善懲悪に関しても同じで、勧善懲悪をする人や それを好む人が減ったからそれが死語になったのではありません。 事実は、まず 善を勧め 悪を懲らしめる人が多く居た時代が長く続き、戦後に 見かけでは善人なのか悪人なのか分かりづらくなって、善人だと思って他人に勧めていたら 化けの皮が剥がれて悪人だったり、逆に悪人だと評判だった人をよく調べると大変社会に貢献していたりしたものですから 勧善懲悪という言葉も死語になったのでございます。(前者の代表格が小泉純一郎氏であり、後者が麻生太郎先生だと私は認識しております)
・ ・ ・
とは言え、半沢直樹という主人公がこれだけ人気になったのは、彼の『勧善懲悪を貫く』という性質の良さ、あるいは魅力があるからだと思います。
特に現代日本人は — たとえ 当人が廃れていたとしても ー 正義感が好きであり、勇気や愛、そして他人様(ヒトサマ)を守る人が好きなのだと思います。 『鬼滅の刃』が大ヒットしているのも頷けます。鬼を壊滅させるという古典的なストーリーですが、特に主人公の竈門炭治郎の性格は勧善懲悪であります。 ファンは 炭治郎の善を勧め悪を懲らしめるという精神に憧れがあるからこそ何度も原作を読み返したりアニメを観たりするのでしょう。
しかし、そういうヒーローの生き方が好きならば、少しでもそういう生き方をなさったらいかがでしょうか。「半沢直樹、格好いいなぁ」と思っているだけ、twitterにつぶやいているだけの受け身の感動だけでは、己の血肉にはなりません。まったくと言ってよいほど、受け身の感動だけでは自分の人生を変えることには成らないのです。
例え 半沢のように上司にガツンと言えなくとも「そういうもんですかねぇ」くらいの嫌みは面と向かって言うべきですし、「良い人だなぁ」と心底感じた人が貧困であっても 自分に素直になって 第三者に堂々と勧めたいものです。 経済的成功者でなければ尊敬できないでは、幼稚な思考と言わざるおえないと私は思います。
半沢のレベルが100だとして、あなたのやる勧善懲悪が1だとしても 0より数段に良いのです。
1と2の間は狭くとも、0と1の間隔は大きく違います。
善人を「素晴らしいなぁ」と心で思うところから始め、その次がそれを口にすること。あるいはその気持ちを表情に表し伝えること。 悪人を睨みつけることから始めて、その次が「馬鹿者!」と怒鳴ること。そんなことから始めれば、次第に勧善懲悪が出来る人に成れるのだと思うのです。
【「やられたらやり返す!」も死語となっていた 】
勧善懲悪を踏まえての「やられたらやり返す」をお話しいたします。
繰り返しますが、勧善懲悪は 悪を懲らしめるだけではありません。 善を(他人様に)勧めることも出来ることも含まれます。 ここが大切なポイントです。
善を認識することが出来ず、悪を懲らしめることだけをしているのは、いわゆるチンピラです。 チンピラになってしまうと 例えば「金を蓄えている老人は悪だ」という妙な思考になってしまい、罪の意識なくオレオレ詐欺をしてしまうようになります。 また 真っ当な社会人であっても 気にくわない人が自分の周りに増えてしまいます。 もし「世の中、嫌な奴ばかりだ」とつぶやいでしまったら、自分が嫌な人を作っているのに気付きたいものです。
さて、やられたらやり返すというのはどういう意味でしょうか。 これは基本的には同等のことをするという意味です。
殴られたら殴り返す、ののしられたら ののしり返す、これが基本です。
この『やられたらやり返す』も日本庶民の伝統的な思考で、昔はあちらこちらで喧嘩が絶えませんでした。 小中学生の男子が取っ組み合いをするのは毎日の事、女の子が口喧嘩をするのは当たり前、大人同士であっても 時には街中で取っ組み合いをしている人も珍しくありませんでした。そういう時に周りが言うのは「昼間っから、みっともない」でありました。 この言葉の裏返しは、夜なら喧嘩も有り得るという意味です。 昔は夜の街では喧嘩があって当たり前で、クラブのママも お巡りさんも喧嘩の仲裁でてんてこ舞いでした。
つまり、おそらくですが 奈良時代あたりから、明治期や大正、昭和期も含めて、常に「やられたらやり返す」という発想は庶民の感情に在ったものです。 やられたらやり返すのは当たり前のことでした。
やられたらやり返すは常識でしたが、それに意味がないことも事実でした。 あるいは「やり返したらお終いだ」という教えもあったのです。
ぶりっ子の順番と同じで、
1.やられたらやり返すを皆がしていた
2.それへの非難(庶民の紳士化)
3.それの禁じ
4.やられたらやり返すの死語化と発想の喪失
5.やられたらやり返す事をしなくなった
という順番で 現代日本は変わりました。
これは一見、崇高な社会になったように見受けられます。 しかし そこが落とし穴です。
【 イジメが減らない要因 】
平和教育で 日本社会のレベルが高まるはずだったのに、今やガタガタだと思うのは私だけでしょうか。 戦前のころよりも人々の心が荒んだと感じるのは私だけでしょうか。
例えば自殺を引き起こしてしまうような小中学生のイジメは まったく減少していないのですが、戦前の自殺者は ほぼゼロでした。
なぜでしょう。 平和教育そして体罰を含めた暴力の禁じが進展すればするほど、イジメが原因の子供の自殺は増えるばかりです。 なぜでしょう。
その理由を左翼罹った教育者は「イジメる子供が増えたから」と言います。 しかしそれは嘘です。
イジメ自体は昔の方が圧倒的に多かったのです。 昭和41年生まれの私の経験でも 特に小学4年生ころまでは学校内でイジメが横行していていました。 クラスメイトの女の子に「おはよう、ブス!」と毎朝挨拶する男子は珍しくありませんでしたし、突然に男子が男子を叩くことも常でした。
当時、ブーブー・クッションという、座るとオナラの音がするイタズラ玩具が流行りまして、気の弱い女の子に仕掛けたら泣いてしまったりしたイタズラは大したことがありませんでしたが、画びょうを椅子の座面に貼り付けるイタズラは強烈でした。 これは流石に私はやりませんでしたが、現代にやったら少年犯罪となるでしょうか。
男子トイレの大の所を使っているのがバレるとその瞬間からあだ名が「うんこ野郎」でしたし、腕を骨折してギブスを巻いていると「片腕」、眼帯をしていれば「片目」、勉強ができないと「馬鹿」、修学旅行に行けないと「貧乏人」などなど 弱者に対して散々でした。
このようにイジメが横行していた昭和期の学校でしたが、イジメを原因にした小中高生の自殺は 全国でほぼゼロ。 そして小学生に関しては イジメを理由にする不登校もゼロでした。
イジメる子供の数は、逆に減っているのが事実です。
「イジメが陰湿化したから」というセンセイも居ます。 これは正しいといえば正しいのだと思います。 上記のような暴言や暴力が禁じられ 減少したため、やり方が陰湿になっているのは事実だと思います。 朝に登校したら自分の机に落書きがされたりお花が置かれていたり、あるいは 恐喝されて金銭を取られたりなど、イジメが陰湿化しているのは事実です。
でも、どうしてイジメは陰湿化したのでしょう。
・ ・ ・
昔は親の体罰は当たり前でした。 少なくとも庶民の家庭では。
大変な金持ちの家庭では 違っていたかもしれませんが、庶民の圧倒的に多くの家庭では親が子を叩いていました。 それは事実です。
学校でも教師の体罰は公然にあったのが事実ですし、大人が他人の子供を殴ることも珍しくありませんでした。
それが禁じられ、子供の教育は「体罰でなく 説教をする」のがスタンダードとなった訳ですが、説教が通じる子供と通じない子供が居るのも事実。 子供は本来、言葉での教えを理解する能力が成長していない者は圧倒的に多いので、説教で理解する優秀な子が極わずかなのは当然です。
しかし昭和期の教育学者は、一部の子にしか出来ない説教での教育を推奨しました。 ここが大きな落とし穴だったのです。
親や周りの大人が体罰をしなくなると、子供は叩かれることに過大なショックを受けます。 逆に毎日のようにパカスカ引っぱたかれるイタズラ小僧は、体罰に慣れてしまって痛みも減少します。 殴られないように逃げるのも俊敏になり、その能力は暴漢魔からのナイフ攻撃にも表れ、昔の子は通り魔に襲われて死亡することは稀でした。 怪我をすることはあっても 致命傷になることは稀でした。 その理由は、ひとつが子供が攻撃に慣れていて素早く逃げたこと。もうひとつが動く人体や動物をナイフで刺し殺すこと自体が不可能に近いことです。 軍事の教育を受けている者でない限り、ナイフで動く動物を殺すことは不可能であります。 動いたり抵抗する動物には なかなかナイフは突き刺さらないのです。 にもかかわらず、通り魔による殺傷事件が日本に多いのは、被害者側が怖じけたのか動かなくなっているからです。
このように、幼いころから体罰を受けていると、まず 痛みに対するショックが軽減されます。 また、通り魔のような本当の悪人からの逃避も上手くなります。 そして、イジメに対しての恐怖心や悲観も和らぐのです。
だから昔の子は大変なイジメを受けてもショックを軽減できて、今の子は小さなイジメでも強いショックを受けるのです。
・ ・ ・
やられたらやり返すは、昔の教育にも使用されました。 男の子が喧嘩して泣いて家に帰ると、多くの父親と一部の母親が「喧嘩で負けたら、勝つまで帰ってくるな」と言ったのは事実です。 今でこそ、親が相手の親に文句を言う時代ですが、喧嘩で負けたら勝つまで帰ってくるなというのは大昔から昭和期まで続いた いわば常識でした。
やられたらやり返すという精神は 今でこそ封じられていますが、1,000年を超える習慣であったため、人の深層心理に刻まれていると思うのです。
それは非科学的と思う方も少なくないでしょう。 しかし、鳥は銃撃音と似た音を極端に嫌います。 猟師に撃たれた経験がない日本の公園のハトでも同じで、風船が破裂する音などを聞くと一斉に逃げます。 これは先祖が聞いた銃撃音を深層心理で “記憶している”のではないでしょうか。
鳥が銃撃音に敏感なように、「やられたらやり返す」という人が元来持っている(持っていた)行動様式も 深層心理に書き込まれているとしたら、半沢直樹のこの台詞にワクワクする人が少なくないのも理解出来るのです。
* * *
だからといって、『勧善懲悪』のように「やられたらやり返す」も勧めるかというと そうではないのです。
なぜなら、やり返したところで 解決しないことが多いからです。
たしかに、子供の喧嘩やイジメなら、早い内にやり返した方が 私は解決しやすいと思います。
例えば、新聞紙を丸めた物で頭を叩かれるイジメを同級生から受けたとして、そこで同レベルの仕返しをすぐにすればイジメは収まるものですが、その時点で堪えてしまったり 脅えてしまったりするとイジメはエスカレートするのです。 イジメの加害者は 新聞紙を丸めた物で次回は顔を叩きたいという気持ちになったり、もっと硬い物で叩きたくなったりしがちです。 人には貪欲という本能があるからです。
人徳に長けた大人は そのような貪欲を自分の理性で咎めるのですが、発達段階の子供は人徳に長けていないため 貪欲が行動に表れがちです。
やられてもやり返さない被害者が 加害者の貪欲を知らずに解放してしまった時、イジメの陰湿化は助長されるのではないでしょうか。
何年か前、このような事がありました。
福島第一原子力発電所事故が起こった際、近隣地に住んでいた家族が避難生活を開始しました。 今でも戻れない方々が多い大災害で、大変気の毒なことです。
にもかかわらず、ある少年は避難先の中学校で喝上げというイジメに遭いました。
始めは「被曝がうつる」というイジメ。 嘆かわしく 愚かなことです。
間もなくして「保証金を沢山もらっているんだろう」というイジメ。
その少年は、心優しかったのでしょうか。あるいは被災などの経験で弱気になっていたのかもしれません。 こういうイジメに我慢してしまったのです。
先生にも親にも このようなイジメ、というか 非道行為を受けていることを相談することもせず、自分ひとりで堪えてしまったといいます。
こうなるとイジメはエスカレートするもので、「被曝がうつる」という言葉のイジメが殴る蹴るとなり、「保証金、もらっているんだろう」というイジメが「おごってくれよ」となり、「金持ってこい」となります。
一般的な子供なら、多くてもせいぜい1万円くらいの喝上げで親や先生にバレて事件が収拾するものですが、この被害者少年は 被害総額が数百万円になってしまいました。 想像するに、この子の親が 子供の補償金は子供名義の通帳に貯蓄していたのだとかもしれません。 そのため、この少年はイジメッコの言われるがまま、数百万円を渡すことになってしまったのです。
数百万円となると、これは確実に犯罪であります。 にもかかわらず、親も学校側も学校内で解決しようとしたところが 本当にお花畑教育現場だと感じるのですが、そういう大人に囲まれて、孤独に対処しようとお金を渡していた少年が気の毒でなりません。
と同時に、始めのうちにやり返していたらこんなことにはならなかったと思うのです。
子供は少年法で守られています。 だから数百万円の喝上げという いわば恐喝事件を起こした加害少年も今はのうのうと暮らしているでしょう。 そういう世の中にあなたは憤りを感じるでしょうか。
加害者に憤りを感じても良いのですが、私は被害者にも「やられたらやり返す」という精神を育んでほしいのです。
相手が数人で勝てないと判断したならば、極端な話し 木刀でなぐったって良いのです。 だって、いじめられっ子も少年法で守られているのですから。
被害者少年が 自殺してしまうくらいなら、加害者少年を怪我させて後遺症を負わせても構わないのではないでしょうか。 だって 少年法で守られているのですから。
やられたらやり返すを実行すれば、かなりの数のイジメが緩和されるでしょう。 そしてイジメでの自殺が激減するのは明白だと断言します。
* * *
ただ、成人になると、ストレートなやり返しは犯罪になってしまいます。
そして、いわゆる “十年戦争”という心労ばかりが積もる人生になりがちです。
所詮「やられたらやり返す」は、子供や凡人の発想です。 人格者はしないのです。
では、人格者であるべき我々社会人はどうすれば良いのでしょうか。
この連載『ドラマ半沢直樹は、昔話桃太郎のようにはならないだろう』のその1で、私は制作者の福澤克雄さん(フクザワ カツオ)が 慶應義塾の生粋のラガーマンであることを紹介しました。
ラグビーというのは、選手と選手がぶつかり合うという過酷な競技です。 よって、凡人がすると喧嘩に発展しかねないものです。
しかし、野球やサッカーなどで乱闘という喧嘩が起こることも少なくないにも関わらず、ラグビーでは発生回数自体は少なめです。 これは 一流選手が喧嘩慣れしていることと紳士道を理解しているからだと思われます。
ただ、一度スイッチが入ってしまうと “野獣の本能”が目覚めるようで、たまに乱闘もあるのが事実です。 珍しい乱闘や日常茶飯事の頭突きの後に、つまり試合後に、競技場外でのトラブルを避けるために、ラグビーにはノーサイドという宣言があります。
ノーサイドとは試合終了のときの合図です。 古くは海外でも使われていましたが、現代では日本のラグビーに残っているルール。 前述通り試合終了ということですが、元々の意味は『試合が終了したら、どちらのチーム(サイド)という区別なく、同じ仲間である』ということです。
そこで思い出して戴きたいのは、ドラマ『半沢直樹』の2020年度版では、妙なくらいに主人公の半沢直樹と準主人公の大和田暁が仲良くなっていること。
半沢は 自分の父親の自殺は大和田が原因だと恨んでいたはずだし、大和田は まさに部下の半沢に土下座をし 降格もしたし、お互いに積年の恨みがあってもおかしくないはずです。
それなのに、この二人が結果的に連合を組み事態の解決に向かったのも やられたらやり返すの精神と ノーサイドの精神が二人にあったからだと言えるでしょう。
半沢は、やり返したのだからもうお終い、その後はノーサイドという精神を確立していましたし、大和田も言い訳があるにしろ半沢の自殺が自分の引き金という気持ちあり だからこそ、言うことを聞かない自分の脚腰を意識的に折って土下座したわけです。 子会社に出向した半沢を深追いしなかったのも大和田の精神性だと思います。 常務から取締役に降格したといえ、やろうと思えば出向元に席のある半沢をクビにするのは容易いはずなのにそれをしなかったのは、大和田にノーサイドの精神があったからでしょう。
このように、ノーサイドの精神がある者だけが 幸せを掴めるようです。 半沢も大和田も見方はいろいろあれど、概ねハッピーエンドではないでしょうか。
対して、昔話の『桃太郎』ですが、あの話しは、鬼がまず町や村を荒し財宝を奪い、それを桃太郎が成敗したストーリーです。 やられたらやり返すの精神ではありますが、ノーサイドの精神がありません。
こういうのを勝ち逃げとも言いますが、これだと孫の代まで恨まれたりしがちで面倒です。(鬼は子孫を残さないかもしれませんが)
桃太郎のように勝ち逃げをしてしまうと、人間社会では積年の恨みとなりがちです。 ノーサイドの精神が勝ち逃げにはないから。
これは国と国との戦争でも同じで、アメリカもソ連も勝ち逃げしたからこそ ノーサイドが成り立たず いざこざが収まらないのが現状です。 日本も 中韓北だけが昔の恨みを忘れないのも 中韓北の指導者が精神性が低いからだと言えます。 ノーサイドを知らないのです。
そういえば、日本は英米と戦争をし、民間人への空襲を経験しました。 民間人への攻撃はあり得ないことです。
そして日本は唯一の被爆国です。 逆に言えば、英米は唯一の原爆を実戦で使用した国です。 そういう事実があるにも関わらず、我々日本人は英米を恨むことはありませんでした。これほど ノーサイドの精神を確立している民族は我々以外にいないでしょう。
ですから、人を恨んでしまう方も自信をもってノーサイドの精神を養ってほしいのです。 我々日本人の深層心理にはノーサイドの精神がしっかりあるのです。 ただ、それを目覚めさせるだけです。
自信を持って、半沢直樹のように、やられたらやり返すが ノーサイドの精神で恨みは持たない人に成っていただきたいと思います。
それこそが 幸せになれる唯一の方法だと思うのです。
(END)

左の体格の良い方が 制作者の福澤克雄さん
(画像は 大和田暁 元常務取締役のtwitterより抜粋)
前回は “勧善懲悪についてご紹介” しました。 勧善懲悪をご紹介というのも妙なのですが、なにせ 江戸期から昭和期まで長年に渡って庶民に愛されたこの生き方を近年はタブー視する傾向があり、勧善懲悪という言葉自体も死語になっている様子です。
ある言葉が死語になると、不思議なことに その思いをする人も極端に減少するものです。
例えば、周囲の多くの男性に愛嬌のある言動をする若い女性、後に『ぶりっ子』と言われる女の娘(オンナノコ)がまず存在していて、それを嫉妬する女の娘が「ぶりっ子じゃん」と揶揄したという順番です。 さらにその次に「ぶりっ子と言うのはイジメだから良くない」と禁じる時期があり、その後に『ぶりっ子=あざとい』という思いが庶民の思考から消え、最後にぶりっ子自体が減少したのであります。
順番としては、
1.多数のぶりっ子の出現
2.ぶりっ子への非難
3.ぶりっ子非難に対する禁じ
4.ぶりっ子という言葉の死語化
5.ぶりっ子という認識の減少(無関心)
6.ぶりっ子の減少
という流れです。
決して、ぶりっ子が減少したから ぶりっ子という言葉が死語になったのではありません。
ちなみに、私は 松本まりかさんという女優が最近お気に入りなのですが、この方の話し方や表情の作り方は 昭和期のぶりっ子を参考にされてのオリジナルな個人性を演出されているのだと思うのですが、今の時代ではぶりっ子と認識されません。 あざとい女と言われるかもしれませんが、ぶりっ子とは言われません。 まさに死語になると人の思考から無くなるということです。
勧善懲悪に関しても同じで、勧善懲悪をする人や それを好む人が減ったからそれが死語になったのではありません。 事実は、まず 善を勧め 悪を懲らしめる人が多く居た時代が長く続き、戦後に 見かけでは善人なのか悪人なのか分かりづらくなって、善人だと思って他人に勧めていたら 化けの皮が剥がれて悪人だったり、逆に悪人だと評判だった人をよく調べると大変社会に貢献していたりしたものですから 勧善懲悪という言葉も死語になったのでございます。(前者の代表格が小泉純一郎氏であり、後者が麻生太郎先生だと私は認識しております)
・ ・ ・
とは言え、半沢直樹という主人公がこれだけ人気になったのは、彼の『勧善懲悪を貫く』という性質の良さ、あるいは魅力があるからだと思います。
特に現代日本人は — たとえ 当人が廃れていたとしても ー 正義感が好きであり、勇気や愛、そして他人様(ヒトサマ)を守る人が好きなのだと思います。 『鬼滅の刃』が大ヒットしているのも頷けます。鬼を壊滅させるという古典的なストーリーですが、特に主人公の竈門炭治郎の性格は勧善懲悪であります。 ファンは 炭治郎の善を勧め悪を懲らしめるという精神に憧れがあるからこそ何度も原作を読み返したりアニメを観たりするのでしょう。
しかし、そういうヒーローの生き方が好きならば、少しでもそういう生き方をなさったらいかがでしょうか。「半沢直樹、格好いいなぁ」と思っているだけ、twitterにつぶやいているだけの受け身の感動だけでは、己の血肉にはなりません。まったくと言ってよいほど、受け身の感動だけでは自分の人生を変えることには成らないのです。
例え 半沢のように上司にガツンと言えなくとも「そういうもんですかねぇ」くらいの嫌みは面と向かって言うべきですし、「良い人だなぁ」と心底感じた人が貧困であっても 自分に素直になって 第三者に堂々と勧めたいものです。 経済的成功者でなければ尊敬できないでは、幼稚な思考と言わざるおえないと私は思います。
半沢のレベルが100だとして、あなたのやる勧善懲悪が1だとしても 0より数段に良いのです。
1と2の間は狭くとも、0と1の間隔は大きく違います。
善人を「素晴らしいなぁ」と心で思うところから始め、その次がそれを口にすること。あるいはその気持ちを表情に表し伝えること。 悪人を睨みつけることから始めて、その次が「馬鹿者!」と怒鳴ること。そんなことから始めれば、次第に勧善懲悪が出来る人に成れるのだと思うのです。
【「やられたらやり返す!」も死語となっていた 】
勧善懲悪を踏まえての「やられたらやり返す」をお話しいたします。
繰り返しますが、勧善懲悪は 悪を懲らしめるだけではありません。 善を(他人様に)勧めることも出来ることも含まれます。 ここが大切なポイントです。
善を認識することが出来ず、悪を懲らしめることだけをしているのは、いわゆるチンピラです。 チンピラになってしまうと 例えば「金を蓄えている老人は悪だ」という妙な思考になってしまい、罪の意識なくオレオレ詐欺をしてしまうようになります。 また 真っ当な社会人であっても 気にくわない人が自分の周りに増えてしまいます。 もし「世の中、嫌な奴ばかりだ」とつぶやいでしまったら、自分が嫌な人を作っているのに気付きたいものです。
さて、やられたらやり返すというのはどういう意味でしょうか。 これは基本的には同等のことをするという意味です。
殴られたら殴り返す、ののしられたら ののしり返す、これが基本です。
この『やられたらやり返す』も日本庶民の伝統的な思考で、昔はあちらこちらで喧嘩が絶えませんでした。 小中学生の男子が取っ組み合いをするのは毎日の事、女の子が口喧嘩をするのは当たり前、大人同士であっても 時には街中で取っ組み合いをしている人も珍しくありませんでした。そういう時に周りが言うのは「昼間っから、みっともない」でありました。 この言葉の裏返しは、夜なら喧嘩も有り得るという意味です。 昔は夜の街では喧嘩があって当たり前で、クラブのママも お巡りさんも喧嘩の仲裁でてんてこ舞いでした。
つまり、おそらくですが 奈良時代あたりから、明治期や大正、昭和期も含めて、常に「やられたらやり返す」という発想は庶民の感情に在ったものです。 やられたらやり返すのは当たり前のことでした。
やられたらやり返すは常識でしたが、それに意味がないことも事実でした。 あるいは「やり返したらお終いだ」という教えもあったのです。
ぶりっ子の順番と同じで、
1.やられたらやり返すを皆がしていた
2.それへの非難(庶民の紳士化)
3.それの禁じ
4.やられたらやり返すの死語化と発想の喪失
5.やられたらやり返す事をしなくなった
という順番で 現代日本は変わりました。
これは一見、崇高な社会になったように見受けられます。 しかし そこが落とし穴です。
【 イジメが減らない要因 】
平和教育で 日本社会のレベルが高まるはずだったのに、今やガタガタだと思うのは私だけでしょうか。 戦前のころよりも人々の心が荒んだと感じるのは私だけでしょうか。
例えば自殺を引き起こしてしまうような小中学生のイジメは まったく減少していないのですが、戦前の自殺者は ほぼゼロでした。
なぜでしょう。 平和教育そして体罰を含めた暴力の禁じが進展すればするほど、イジメが原因の子供の自殺は増えるばかりです。 なぜでしょう。
その理由を左翼罹った教育者は「イジメる子供が増えたから」と言います。 しかしそれは嘘です。
イジメ自体は昔の方が圧倒的に多かったのです。 昭和41年生まれの私の経験でも 特に小学4年生ころまでは学校内でイジメが横行していていました。 クラスメイトの女の子に「おはよう、ブス!」と毎朝挨拶する男子は珍しくありませんでしたし、突然に男子が男子を叩くことも常でした。
当時、ブーブー・クッションという、座るとオナラの音がするイタズラ玩具が流行りまして、気の弱い女の子に仕掛けたら泣いてしまったりしたイタズラは大したことがありませんでしたが、画びょうを椅子の座面に貼り付けるイタズラは強烈でした。 これは流石に私はやりませんでしたが、現代にやったら少年犯罪となるでしょうか。
男子トイレの大の所を使っているのがバレるとその瞬間からあだ名が「うんこ野郎」でしたし、腕を骨折してギブスを巻いていると「片腕」、眼帯をしていれば「片目」、勉強ができないと「馬鹿」、修学旅行に行けないと「貧乏人」などなど 弱者に対して散々でした。
このようにイジメが横行していた昭和期の学校でしたが、イジメを原因にした小中高生の自殺は 全国でほぼゼロ。 そして小学生に関しては イジメを理由にする不登校もゼロでした。
イジメる子供の数は、逆に減っているのが事実です。
「イジメが陰湿化したから」というセンセイも居ます。 これは正しいといえば正しいのだと思います。 上記のような暴言や暴力が禁じられ 減少したため、やり方が陰湿になっているのは事実だと思います。 朝に登校したら自分の机に落書きがされたりお花が置かれていたり、あるいは 恐喝されて金銭を取られたりなど、イジメが陰湿化しているのは事実です。
でも、どうしてイジメは陰湿化したのでしょう。
・ ・ ・
昔は親の体罰は当たり前でした。 少なくとも庶民の家庭では。
大変な金持ちの家庭では 違っていたかもしれませんが、庶民の圧倒的に多くの家庭では親が子を叩いていました。 それは事実です。
学校でも教師の体罰は公然にあったのが事実ですし、大人が他人の子供を殴ることも珍しくありませんでした。
それが禁じられ、子供の教育は「体罰でなく 説教をする」のがスタンダードとなった訳ですが、説教が通じる子供と通じない子供が居るのも事実。 子供は本来、言葉での教えを理解する能力が成長していない者は圧倒的に多いので、説教で理解する優秀な子が極わずかなのは当然です。
しかし昭和期の教育学者は、一部の子にしか出来ない説教での教育を推奨しました。 ここが大きな落とし穴だったのです。
親や周りの大人が体罰をしなくなると、子供は叩かれることに過大なショックを受けます。 逆に毎日のようにパカスカ引っぱたかれるイタズラ小僧は、体罰に慣れてしまって痛みも減少します。 殴られないように逃げるのも俊敏になり、その能力は暴漢魔からのナイフ攻撃にも表れ、昔の子は通り魔に襲われて死亡することは稀でした。 怪我をすることはあっても 致命傷になることは稀でした。 その理由は、ひとつが子供が攻撃に慣れていて素早く逃げたこと。もうひとつが動く人体や動物をナイフで刺し殺すこと自体が不可能に近いことです。 軍事の教育を受けている者でない限り、ナイフで動く動物を殺すことは不可能であります。 動いたり抵抗する動物には なかなかナイフは突き刺さらないのです。 にもかかわらず、通り魔による殺傷事件が日本に多いのは、被害者側が怖じけたのか動かなくなっているからです。
このように、幼いころから体罰を受けていると、まず 痛みに対するショックが軽減されます。 また、通り魔のような本当の悪人からの逃避も上手くなります。 そして、イジメに対しての恐怖心や悲観も和らぐのです。
だから昔の子は大変なイジメを受けてもショックを軽減できて、今の子は小さなイジメでも強いショックを受けるのです。
・ ・ ・
やられたらやり返すは、昔の教育にも使用されました。 男の子が喧嘩して泣いて家に帰ると、多くの父親と一部の母親が「喧嘩で負けたら、勝つまで帰ってくるな」と言ったのは事実です。 今でこそ、親が相手の親に文句を言う時代ですが、喧嘩で負けたら勝つまで帰ってくるなというのは大昔から昭和期まで続いた いわば常識でした。
やられたらやり返すという精神は 今でこそ封じられていますが、1,000年を超える習慣であったため、人の深層心理に刻まれていると思うのです。
それは非科学的と思う方も少なくないでしょう。 しかし、鳥は銃撃音と似た音を極端に嫌います。 猟師に撃たれた経験がない日本の公園のハトでも同じで、風船が破裂する音などを聞くと一斉に逃げます。 これは先祖が聞いた銃撃音を深層心理で “記憶している”のではないでしょうか。
鳥が銃撃音に敏感なように、「やられたらやり返す」という人が元来持っている(持っていた)行動様式も 深層心理に書き込まれているとしたら、半沢直樹のこの台詞にワクワクする人が少なくないのも理解出来るのです。
* * *
だからといって、『勧善懲悪』のように「やられたらやり返す」も勧めるかというと そうではないのです。
なぜなら、やり返したところで 解決しないことが多いからです。
たしかに、子供の喧嘩やイジメなら、早い内にやり返した方が 私は解決しやすいと思います。
例えば、新聞紙を丸めた物で頭を叩かれるイジメを同級生から受けたとして、そこで同レベルの仕返しをすぐにすればイジメは収まるものですが、その時点で堪えてしまったり 脅えてしまったりするとイジメはエスカレートするのです。 イジメの加害者は 新聞紙を丸めた物で次回は顔を叩きたいという気持ちになったり、もっと硬い物で叩きたくなったりしがちです。 人には貪欲という本能があるからです。
人徳に長けた大人は そのような貪欲を自分の理性で咎めるのですが、発達段階の子供は人徳に長けていないため 貪欲が行動に表れがちです。
やられてもやり返さない被害者が 加害者の貪欲を知らずに解放してしまった時、イジメの陰湿化は助長されるのではないでしょうか。
何年か前、このような事がありました。
福島第一原子力発電所事故が起こった際、近隣地に住んでいた家族が避難生活を開始しました。 今でも戻れない方々が多い大災害で、大変気の毒なことです。
にもかかわらず、ある少年は避難先の中学校で喝上げというイジメに遭いました。
始めは「被曝がうつる」というイジメ。 嘆かわしく 愚かなことです。
間もなくして「保証金を沢山もらっているんだろう」というイジメ。
その少年は、心優しかったのでしょうか。あるいは被災などの経験で弱気になっていたのかもしれません。 こういうイジメに我慢してしまったのです。
先生にも親にも このようなイジメ、というか 非道行為を受けていることを相談することもせず、自分ひとりで堪えてしまったといいます。
こうなるとイジメはエスカレートするもので、「被曝がうつる」という言葉のイジメが殴る蹴るとなり、「保証金、もらっているんだろう」というイジメが「おごってくれよ」となり、「金持ってこい」となります。
一般的な子供なら、多くてもせいぜい1万円くらいの喝上げで親や先生にバレて事件が収拾するものですが、この被害者少年は 被害総額が数百万円になってしまいました。 想像するに、この子の親が 子供の補償金は子供名義の通帳に貯蓄していたのだとかもしれません。 そのため、この少年はイジメッコの言われるがまま、数百万円を渡すことになってしまったのです。
数百万円となると、これは確実に犯罪であります。 にもかかわらず、親も学校側も学校内で解決しようとしたところが 本当にお花畑教育現場だと感じるのですが、そういう大人に囲まれて、孤独に対処しようとお金を渡していた少年が気の毒でなりません。
と同時に、始めのうちにやり返していたらこんなことにはならなかったと思うのです。
子供は少年法で守られています。 だから数百万円の喝上げという いわば恐喝事件を起こした加害少年も今はのうのうと暮らしているでしょう。 そういう世の中にあなたは憤りを感じるでしょうか。
加害者に憤りを感じても良いのですが、私は被害者にも「やられたらやり返す」という精神を育んでほしいのです。
相手が数人で勝てないと判断したならば、極端な話し 木刀でなぐったって良いのです。 だって、いじめられっ子も少年法で守られているのですから。
被害者少年が 自殺してしまうくらいなら、加害者少年を怪我させて後遺症を負わせても構わないのではないでしょうか。 だって 少年法で守られているのですから。
やられたらやり返すを実行すれば、かなりの数のイジメが緩和されるでしょう。 そしてイジメでの自殺が激減するのは明白だと断言します。
* * *
ただ、成人になると、ストレートなやり返しは犯罪になってしまいます。
そして、いわゆる “十年戦争”という心労ばかりが積もる人生になりがちです。
所詮「やられたらやり返す」は、子供や凡人の発想です。 人格者はしないのです。
では、人格者であるべき我々社会人はどうすれば良いのでしょうか。
この連載『ドラマ半沢直樹は、昔話桃太郎のようにはならないだろう』のその1で、私は制作者の福澤克雄さん(フクザワ カツオ)が 慶應義塾の生粋のラガーマンであることを紹介しました。
ラグビーというのは、選手と選手がぶつかり合うという過酷な競技です。 よって、凡人がすると喧嘩に発展しかねないものです。
しかし、野球やサッカーなどで乱闘という喧嘩が起こることも少なくないにも関わらず、ラグビーでは発生回数自体は少なめです。 これは 一流選手が喧嘩慣れしていることと紳士道を理解しているからだと思われます。
ただ、一度スイッチが入ってしまうと “野獣の本能”が目覚めるようで、たまに乱闘もあるのが事実です。 珍しい乱闘や日常茶飯事の頭突きの後に、つまり試合後に、競技場外でのトラブルを避けるために、ラグビーにはノーサイドという宣言があります。
ノーサイドとは試合終了のときの合図です。 古くは海外でも使われていましたが、現代では日本のラグビーに残っているルール。 前述通り試合終了ということですが、元々の意味は『試合が終了したら、どちらのチーム(サイド)という区別なく、同じ仲間である』ということです。
そこで思い出して戴きたいのは、ドラマ『半沢直樹』の2020年度版では、妙なくらいに主人公の半沢直樹と準主人公の大和田暁が仲良くなっていること。
半沢は 自分の父親の自殺は大和田が原因だと恨んでいたはずだし、大和田は まさに部下の半沢に土下座をし 降格もしたし、お互いに積年の恨みがあってもおかしくないはずです。
それなのに、この二人が結果的に連合を組み事態の解決に向かったのも やられたらやり返すの精神と ノーサイドの精神が二人にあったからだと言えるでしょう。
半沢は、やり返したのだからもうお終い、その後はノーサイドという精神を確立していましたし、大和田も言い訳があるにしろ半沢の自殺が自分の引き金という気持ちあり だからこそ、言うことを聞かない自分の脚腰を意識的に折って土下座したわけです。 子会社に出向した半沢を深追いしなかったのも大和田の精神性だと思います。 常務から取締役に降格したといえ、やろうと思えば出向元に席のある半沢をクビにするのは容易いはずなのにそれをしなかったのは、大和田にノーサイドの精神があったからでしょう。
このように、ノーサイドの精神がある者だけが 幸せを掴めるようです。 半沢も大和田も見方はいろいろあれど、概ねハッピーエンドではないでしょうか。
対して、昔話の『桃太郎』ですが、あの話しは、鬼がまず町や村を荒し財宝を奪い、それを桃太郎が成敗したストーリーです。 やられたらやり返すの精神ではありますが、ノーサイドの精神がありません。
こういうのを勝ち逃げとも言いますが、これだと孫の代まで恨まれたりしがちで面倒です。(鬼は子孫を残さないかもしれませんが)
桃太郎のように勝ち逃げをしてしまうと、人間社会では積年の恨みとなりがちです。 ノーサイドの精神が勝ち逃げにはないから。
これは国と国との戦争でも同じで、アメリカもソ連も勝ち逃げしたからこそ ノーサイドが成り立たず いざこざが収まらないのが現状です。 日本も 中韓北だけが昔の恨みを忘れないのも 中韓北の指導者が精神性が低いからだと言えます。 ノーサイドを知らないのです。
そういえば、日本は英米と戦争をし、民間人への空襲を経験しました。 民間人への攻撃はあり得ないことです。
そして日本は唯一の被爆国です。 逆に言えば、英米は唯一の原爆を実戦で使用した国です。 そういう事実があるにも関わらず、我々日本人は英米を恨むことはありませんでした。これほど ノーサイドの精神を確立している民族は我々以外にいないでしょう。
ですから、人を恨んでしまう方も自信をもってノーサイドの精神を養ってほしいのです。 我々日本人の深層心理にはノーサイドの精神がしっかりあるのです。 ただ、それを目覚めさせるだけです。
自信を持って、半沢直樹のように、やられたらやり返すが ノーサイドの精神で恨みは持たない人に成っていただきたいと思います。
それこそが 幸せになれる唯一の方法だと思うのです。
(END)

左の体格の良い方が 制作者の福澤克雄さん
(画像は 大和田暁 元常務取締役のtwitterより抜粋)
大切なあなたが 幸せでありますように。
相談屋さん カフェカウンセリング 横尾けいすけ
( ↑ 無料のメールカウンセリング受付中です)
ブログランキングに参加しています。
お読みいただき、良かったなと思ったら クリックして下さい。
〜 あなたの感動を より多くの方と共有しませんか〜