目的と目標
- 2021/03/21
- 21:00
# オリンピック # 新型コロナウイルス # 目的 目標 # 感染症 # 自粛
日本政府は『2020’東京オリンピック』を 2021年7月23日に 何が何でも開催しようと懸命です。しかし、海外からの観客を断念することが決定した今日、当初の目的を成すことは到底不可能だと私は感想します。
・ ・ ・
元々、2020年に日本の東京でオリンピックを開催する目的は何だったのでしょうか。
数年前、なぜに開催しようと目的し、努力したのでしょうか。
『日本人選手獲得のメダル数を増やすため』
これは違います。1964年(昭和39年)の東京オリンピック前後の時代ならば、開催国の選手が有利になり得る可能性が高かったかもしれません。理由は旅客機が現在ほど普及していなかったから。 しかし現在では開催国がメダル数に絶対的に有利とはいえません。
『公共工事が促進し 住みやすい社会になるから』
これも昭和時代のオリンピックでは功績ではあったことですが、現代では違います。
昭和のオリンピックでは首都高速道路などの道路整備が進みました。 また 今まで日本に存在しなかった大規模の競技場や高級ホテル(旅館でなくホテル)が作られました。公益な施設作成に拍車がかかったのです。
そしてなんと 新幹線が東京ー新大阪間で本格的に開通したのです。
「このような計画があったから オリンピック開催地として認められたのだ」という歴史的記述があるかもしれませんが、逆に言えばオリンピック開催計画が日本になかったならば首都高も新幹線も完成が10年遅れていたでしょう。 昭和のオリンピックでは、住みやすい街作りに効果があったのです。
しかし、2020’オリンピックでは、コロナ騒ぎが例え無かったとしても、何も作成されませんでした。代々木に新しい競技場ができたくらいなもので、歴代の都知事も現在の都知事も何も作りませんでした。運転士なしのバスを極一部の道路で実験しましたが、そんなのはモノレールでも存在しますし、乗客としては 運転士がいないことで得になることは何もありません。
そして 2020’オリンピックでの公共工事の目玉だったリニアモーターカーが間に合わなかったことは絶望的なことでした。昭和の時代に幼少期を過ごした私のような世代にとっては、リニアモーター車こそが夢の超特急だったのですが、これがオリンピック開催までに間に合わないと報道された数年前「終わったな」と思いました。
現代のオリンピック開催は、日本国民の生活を豊かにする目的ではなかったのです。
『インバウンド需要を高めるため』
「このために2020’オリンピックを東京で開催しようとしたのだ」と思い違いをなさっている方は少なくないと思います。 しかしそれは違います。
もし、コロナ騒ぎが無ければ、オリンピックなど開催しなくともインバウンド需要は高かったのです。さらに拍車を掛けたければ、オリンピックなどという運動会を開催するよりも カジノを作ったり、商店街や観光地への交通手段を効率よくした方が海外観光客の使用金額は高まるはずなのです。 純粋に選手の応援をしに来た外国人と、買い物目当てで来た観光客と、どちらが日本にお金を落とすか考えれば、オリンピックでインバウンドを高めようなどという作戦が無意味なのは理解できると思います。
では なぜに 2020年にオリンピックを東京で開催しようとしたのでしょうか。
2020’オリンピックの真の目的は 何だったのでしょうか。
それは、2011年に起こった福島原発事故での悪いイメージを改善することだったのです。
あの事故(もう 10年も経ってしまたったので 敢えて「あの」と言いますが)は、日本人の間ではかなり ”解決”しました。もちろん いまだに避難所生活をなさっている方々のいらっしゃるので真の解決ではないのですが、放射能汚染という心配の面では ほぼ解決しています。 福島県産の作物や魚介類を私を含めて多くの人が食するようになりましたし、原発事故地付近の子どもたちに障害が発生していないことも嬉しい事実です。 細かいことでは メルトダウンした施設に容易に近づいている鳥類や小動物にも問題がない事実が 本当に嬉しいことだと思います。
しかし、現場を生で体験していない外国人の中には いまだに「日本は危ないのではないか?」と心配してしてしまっている人が少ないとは言えないのです。
事実、日本の農作物を輸入しない国があるのも事実ですし、外国人が日本への出張を拒否できるのも事実です。(日本人が戦争が激化している国に赴任するのを拒否できると同じように、海外の方は「日本は放射能が怖いから」と主張すれば赴任を断れるのです)
そういう放射能汚染への誤解を メルトダウンした地点からそう遠くない東京で、良化しようと図ったのが 2020’東京オリンピックでした。
データで説明しても 生理的に嫌悪したことは改まるものではありません。 生理的に嫌ったことを正すには体験しかないのです。
なのに、一般の海外観戦者をシャットダウンしては 東京訪問という体験が伴わないため 生理的嫌悪は正せません。
日本の近隣国からは買い物観光が多かった平成時代。なのに欧米からは異常に少なかったと感じないでしょうか。 その理由のひとつはChinaの方々が裕福になったのもありますが、だからと言って欧米人が皆貧乏になったわけではありません。 なのに少なかったのは 放射能汚染の誤解があったためです。
そういう生理的誤解を正すためのオリンピックが、テレビ観戦では効果が薄いのです。 また、出場した選手団の元気な様子だけでは駄目なのです。ですから 外国人観戦者は基本受け入れないというオリンピックでは本来の目的は達成されるはずがないのです。
* * *
貴方は『目的』と『目標』の違いをご存知でしょうか。
ビジネスシーンだけでなく 様々な局面で、目的と目標の違いを理解している事は重要なので、ご存知でない方は 『目的 目標 違い』などの用語でネット検索し学んでいただければと思いますが、概略を述べると、
『目的とは、弓道で使われる的(マト)。まさに最終のゴール地とすべきこと』
『目標は、目的地まで到達するための道標(ミチ シルベ)』そういう違いがあります。
例えば、多くの親は子に「ちゃんと勉強しなさい」とか「一流校に合格出来るように…」とか言いますが、なぜに ちゃんと勉強しないとならないのかという目標を伝えているでしょうか。「ちゃんと勉強しないとお父さんみたいな大人に成ってしまうから」という説明では、子供が勉強すべき見失いがちです。 また、事実、ちゃんと勉強した人の方が 若干 できる人に成っていますが、でも『ちゃんと勉強する=幸福な人生』とは限りません。
また、なぜに一流校に合格すべきかを伝えているでしょうか。 まさか「一流校合格が目的だ」などと間違ったことを伝えたりしていないでしょうか。
ちゃんと勉強する事や一流校合格というのは、あくまでも優良な社会人に成るための目標です。目的ではありません。 ちゃんと勉強するという標識に向かって歩けば 概ね一流校に合格できますし、一流校に合格して通うという標識に従えば 概ね最終学歴が上がって就職が有利に成り得る可能性が高まるかもしれませんが、真の目的はそれではないはずです。
人生、全てが全て、日々の努力は目標を意識してする必要がありますが、目的を忘れると最後には(あるいは最期には)泡沫に弾け飛ぶだけです。
* * *
2020’東京オリンピックという失敗劇から私達は、
「目的は 的であり 最終到達点。目標は 最終到達点という目的を達成するための標識である」という基本的なことを忘れたくはないものです。
日本政府は『2020’東京オリンピック』を 2021年7月23日に 何が何でも開催しようと懸命です。しかし、海外からの観客を断念することが決定した今日、当初の目的を成すことは到底不可能だと私は感想します。
・ ・ ・
元々、2020年に日本の東京でオリンピックを開催する目的は何だったのでしょうか。
数年前、なぜに開催しようと目的し、努力したのでしょうか。
『日本人選手獲得のメダル数を増やすため』
これは違います。1964年(昭和39年)の東京オリンピック前後の時代ならば、開催国の選手が有利になり得る可能性が高かったかもしれません。理由は旅客機が現在ほど普及していなかったから。 しかし現在では開催国がメダル数に絶対的に有利とはいえません。
『公共工事が促進し 住みやすい社会になるから』
これも昭和時代のオリンピックでは功績ではあったことですが、現代では違います。
昭和のオリンピックでは首都高速道路などの道路整備が進みました。 また 今まで日本に存在しなかった大規模の競技場や高級ホテル(旅館でなくホテル)が作られました。公益な施設作成に拍車がかかったのです。
そしてなんと 新幹線が東京ー新大阪間で本格的に開通したのです。
「このような計画があったから オリンピック開催地として認められたのだ」という歴史的記述があるかもしれませんが、逆に言えばオリンピック開催計画が日本になかったならば首都高も新幹線も完成が10年遅れていたでしょう。 昭和のオリンピックでは、住みやすい街作りに効果があったのです。
しかし、2020’オリンピックでは、コロナ騒ぎが例え無かったとしても、何も作成されませんでした。代々木に新しい競技場ができたくらいなもので、歴代の都知事も現在の都知事も何も作りませんでした。運転士なしのバスを極一部の道路で実験しましたが、そんなのはモノレールでも存在しますし、乗客としては 運転士がいないことで得になることは何もありません。
そして 2020’オリンピックでの公共工事の目玉だったリニアモーターカーが間に合わなかったことは絶望的なことでした。昭和の時代に幼少期を過ごした私のような世代にとっては、リニアモーター車こそが夢の超特急だったのですが、これがオリンピック開催までに間に合わないと報道された数年前「終わったな」と思いました。
現代のオリンピック開催は、日本国民の生活を豊かにする目的ではなかったのです。
『インバウンド需要を高めるため』
「このために2020’オリンピックを東京で開催しようとしたのだ」と思い違いをなさっている方は少なくないと思います。 しかしそれは違います。
もし、コロナ騒ぎが無ければ、オリンピックなど開催しなくともインバウンド需要は高かったのです。さらに拍車を掛けたければ、オリンピックなどという運動会を開催するよりも カジノを作ったり、商店街や観光地への交通手段を効率よくした方が海外観光客の使用金額は高まるはずなのです。 純粋に選手の応援をしに来た外国人と、買い物目当てで来た観光客と、どちらが日本にお金を落とすか考えれば、オリンピックでインバウンドを高めようなどという作戦が無意味なのは理解できると思います。
では なぜに 2020年にオリンピックを東京で開催しようとしたのでしょうか。
2020’オリンピックの真の目的は 何だったのでしょうか。
それは、2011年に起こった福島原発事故での悪いイメージを改善することだったのです。
あの事故(もう 10年も経ってしまたったので 敢えて「あの」と言いますが)は、日本人の間ではかなり ”解決”しました。もちろん いまだに避難所生活をなさっている方々のいらっしゃるので真の解決ではないのですが、放射能汚染という心配の面では ほぼ解決しています。 福島県産の作物や魚介類を私を含めて多くの人が食するようになりましたし、原発事故地付近の子どもたちに障害が発生していないことも嬉しい事実です。 細かいことでは メルトダウンした施設に容易に近づいている鳥類や小動物にも問題がない事実が 本当に嬉しいことだと思います。
しかし、現場を生で体験していない外国人の中には いまだに「日本は危ないのではないか?」と心配してしてしまっている人が少ないとは言えないのです。
事実、日本の農作物を輸入しない国があるのも事実ですし、外国人が日本への出張を拒否できるのも事実です。(日本人が戦争が激化している国に赴任するのを拒否できると同じように、海外の方は「日本は放射能が怖いから」と主張すれば赴任を断れるのです)
そういう放射能汚染への誤解を メルトダウンした地点からそう遠くない東京で、良化しようと図ったのが 2020’東京オリンピックでした。
データで説明しても 生理的に嫌悪したことは改まるものではありません。 生理的に嫌ったことを正すには体験しかないのです。
なのに、一般の海外観戦者をシャットダウンしては 東京訪問という体験が伴わないため 生理的嫌悪は正せません。
日本の近隣国からは買い物観光が多かった平成時代。なのに欧米からは異常に少なかったと感じないでしょうか。 その理由のひとつはChinaの方々が裕福になったのもありますが、だからと言って欧米人が皆貧乏になったわけではありません。 なのに少なかったのは 放射能汚染の誤解があったためです。
そういう生理的誤解を正すためのオリンピックが、テレビ観戦では効果が薄いのです。 また、出場した選手団の元気な様子だけでは駄目なのです。ですから 外国人観戦者は基本受け入れないというオリンピックでは本来の目的は達成されるはずがないのです。
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貴方は『目的』と『目標』の違いをご存知でしょうか。
ビジネスシーンだけでなく 様々な局面で、目的と目標の違いを理解している事は重要なので、ご存知でない方は 『目的 目標 違い』などの用語でネット検索し学んでいただければと思いますが、概略を述べると、
『目的とは、弓道で使われる的(マト)。まさに最終のゴール地とすべきこと』
『目標は、目的地まで到達するための道標(ミチ シルベ)』そういう違いがあります。
例えば、多くの親は子に「ちゃんと勉強しなさい」とか「一流校に合格出来るように…」とか言いますが、なぜに ちゃんと勉強しないとならないのかという目標を伝えているでしょうか。「ちゃんと勉強しないとお父さんみたいな大人に成ってしまうから」という説明では、子供が勉強すべき見失いがちです。 また、事実、ちゃんと勉強した人の方が 若干 できる人に成っていますが、でも『ちゃんと勉強する=幸福な人生』とは限りません。
また、なぜに一流校に合格すべきかを伝えているでしょうか。 まさか「一流校合格が目的だ」などと間違ったことを伝えたりしていないでしょうか。
ちゃんと勉強する事や一流校合格というのは、あくまでも優良な社会人に成るための目標です。目的ではありません。 ちゃんと勉強するという標識に向かって歩けば 概ね一流校に合格できますし、一流校に合格して通うという標識に従えば 概ね最終学歴が上がって就職が有利に成り得る可能性が高まるかもしれませんが、真の目的はそれではないはずです。
人生、全てが全て、日々の努力は目標を意識してする必要がありますが、目的を忘れると最後には(あるいは最期には)泡沫に弾け飛ぶだけです。
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2020’東京オリンピックという失敗劇から私達は、
「目的は 的であり 最終到達点。目標は 最終到達点という目的を達成するための標識である」という基本的なことを忘れたくはないものです。
大切なあなたが 幸せでありますように。
相談屋さん カフェカウンセリング 横尾けいすけ
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